掌編小説|しょうが焼き(2)
俺はダウンコートをハンガーに掛け、白のコンバースを脱いで部屋に入った。
彼女はスマホの画面を俺に見せてきた。ヒビが入っているし、指紋だらけだった。
豚の生姜焼きみたいな画像が出力されている。俺は「ああわかった」と返事して、冷蔵庫の冷凍室からおにぎりをふたつ取り出した。冷蔵庫の上に置いてある電子レンジに、おにぎりをひとつ放り込んだ。
カセットコンロが一つだけ置いてある狭いキッチン脇にもうひとつのおにぎりを置いた。
冷蔵室から味噌を取り出し、お椀を二つ並べて味噌をスプーンで掬ってそこに入れた。乾燥わかめを乗せて電気ポットから熱湯を注いだ。
おにぎりが温まったので、もうひとつのおにぎりを電子レンジに入れた。
とりあえず彼女には味噌汁だけ出した。彼女はスマホを見ながら味噌汁を啜っている。
冷蔵室から『豚肉(しゃぶしゃぶ用)』とシールが貼ってあるトレーを取り出した。
フライパンにその豚肉を並べて塩、こしょう、醤油、みりん、料理酒、めんつゆなどを少しずつ入れて、チューブ入りのおろししょうがをこれでもかというくらい入れて炒めた。茶碗にもうひとつのおにぎりを開けた。
ドンドンドン、という強い音が鳴った。
201号室の住人が俺の部屋の壁を叩いている。こんな夜遅くに料理するな、と言うことだろう。
出来上がった豚の生姜焼きを平皿ふたつに分けた。茶碗に入れたおにぎりと生姜焼きをテーブルに乗せた。
彼女はバクバク食べて、ご飯をもぐもぐ食べて、味噌汁をずずーと飲んだ。
俺は彼女の様子を見ながら食べた。顔のつくりは上品だった。俺は彼女がいないと食生活がめちゃくちゃになる。一人でいると冷凍おにぎりさえ温める気力が湧かない。
彼女は自分が食べたいメインおかずを画面に出してくれるから、バランスの良い食生活が維持できている。
俺は食べながら屁をこいた。彼女は俺の尻に手を差し込んで蓋をした。
彼女も屁をこいた。俺は彼女の尻に手を差し込んで蓋をした。「やめろ」と彼女が言った。
ドンドンドン、と201号室の住人が壁を叩いた。俺がお茶を淹れて、二人で飲んでいる間中壁はドンドン言っていた。
彼女は食後、歯を磨いて化粧を落として、髪の毛を後ろで束ね直した。その間俺は、ヒビの入っていない自分のスマホで画面をすりすりしていた。
彼女が流しを使い終えたので、俺は顔を洗って歯を磨いた。彼女は布団の中でまたスマホをすりすりしている。
俺は部屋の電気を消した。
すると彼女のスマホも暗くなった。
窓から、街灯の灯りだけが薄っすら漏れてくるだけになった。
俺たちがセックスをしている間中、201号室の住人は壁をドンドンドンドンドンドン叩き続けた。
セックスが終わるとドンドンという音が止まり、彼女は股間をティッシュで拭いた。そして、201号室側の壁を蹴飛ばした。
その十分後に彼女は寝息を立てていた。
俺も気付いたら寝ていた。
何か、小さな音が気になって起きた。
コン、コココ、コココ……とても小さな音だ。俺は耳を澄ませた。
「♪雨ー降りのー、朝でー、今日もー会えないやー、なーんとなーく、でもー、少しーほっとしーて、飲みほーしたジンジャエール、気が抜けーて、安心なーぼーくーらーはたーびーにでーよーおぜー、おーもいきりないたーりーわーらったーりしーよーおぜー…、くらがりーをはーしーるー、キミがみーてるーかーらー、でもー、いないーきみもーぼくもー…」
201号室の住人が、とても小さな声で口遊んでいた。
スマホを見たら深夜二時過ぎだった。
(終わり)
#なんのはなしですか
