掌編小説|伊東のバイト先のはなし⑥(まちづくり)
「今週も休みが一日しかない」
伊東は部屋で独りごちた。
この町に来てから2年になるが、町から一歩も出ていない事に気付いた。折角休みの日なのに部屋でぐだぐだしているのも勿体無いし、今日は隣町くらいまで行ってみようかな、と思った。
アパートの前に置きっぱなしになっている自転車が目に入ったので、乗って行く事にした。
この町はコンパクトに纏まっていて、町外れは荒涼としている。それも町から出ようと思わせない一因なのかもしれない、と思った。
行けども行けども背が低くて細い草がまばらに生えているだけの土地が広がっていた。
そろそろ隣町に入る、という所にヤマサキパンのいつものトラックが、道を塞ぐ様に横向きに停まっていた。するとトラックから迷彩服を着た男が降りて来た。荷台からも二人降りて来た。
ギョッとした。
嫌な予感がして、逃げ出したい気持ちになったが、隠れる場所もないので知らんぷりして通過する事にした。
男が「伊東くん。どうしたの?」と尋ねて来た。全く知らない人だった。
「ちょっと隣町までサイクリングでもしようかな、と思ってます」と答えると、
「この道は使えないよ」と言われた。
何だか声の中に嫌な感じが混ざっていたので、「分かりました。じゃあ今日は帰ろうかな」と応え、向こうの気が変わらない事を願いながら素早く踵を返した。
伊東は全力で自転車を漕ぎながら、やっぱりこの町は普通じゃない、と確信した。
それから伊東は、休みの度に町の境界を調べた。だが、同じ様にトラックが道を塞いでいたり、自衛隊の敷地の様に金網がずーっと続いていたり、何もない所もあったが、そんな所は大抵監視カメラらしきものが電柱に括り付けてあった。
それ以降彼は、行動や言動にますます注意を払う様になっていった。
この日は、久し振りに5人揃って『居酒屋浜ちゃん』に来て居た。
伊東は自然な感じを心掛けつつ、「旅行とか全然行ってないなー」と言ってみた。
「旅行? 確かに修学旅行以来行ってないわ」
「俺も」
「俺も行ってない。でも興味ないわ。俺この町から出たいとも思わないね」
「あー分かる。俺も」
「え? お前らみんな、修学旅行以来誰も町から出てないの?」
「あーそうだね」
「別にね。維持費かかるから車持ってもなんも良い事ないしね」
「そうだよね。たまにこうして居酒屋行くくらいで、俺は十分かな」
「フットサルで忙しいし」
彼らはどう考えても俺と同年代で、つまり25歳とかそれくらいの歳で、仲邑などは確か、今年30だと言っていた。そういう俺もこの街に来てから最近まで、気晴らしにどこか行ってみよう、とも思わなかった訳で、若いこの時期に訳のわからないこの町で時間を溶かし続けていて良いのだろうか、と伊東は切実に感じた。
どういう訳だか、この町には謎の居心地の良さがある。だが俺はこの所、町の境界を調べてみて分かったが、自分を含めた町の人間は間違いなく管理されている。それ以来俺は居心地が悪くなった。しかしそんな事を口に出すと、頭のおかしい陰謀論者の様に見られる気がしたので、伊東は黙っている事にしていた。
「伊東ちゃん」
仲邑が妙に改まった調子で切り出した。
「ほんと申し訳なくて、伊東ちゃんだけにはずっと言えなかったんだけど、俺は曙美を倒すのを諦める事にした」
いやいや。俺は最初から倒そうなんて思ってないし。
「伊東ちゃんの悔しさは俺も分かってるつもりだし、仲間を裏切るみたいで、今まで言えなくて…」
いやいや。俺、何回もやめようって言ったよね。
「だから俺、曙美に言ったんだよね。そしたら遅くなったけど、って言いながら慰謝料出して来た」
「え?仲邑が曙美に直接会って、慰謝料回収して来たの?」
「そうだよ」
「え?待って待って。向こうが謝ってるなら、別に戦う必要もなかったんじゃないの」
「いやいや。それじゃあ伊東ちゃんの気持ちが収まらないでしょ? そこを何とか、という所で!」
仲邑には、俺は何度も慰謝料さえ貰えれば良いと言ったはずだった。ヤツは興奮して、聞いているのかどうか分からなかったけど。
しっかり一言ずつ噛み締めて言わないと、コイツには伝わらないみたいだ。
「分かった。仲邑、わざわざありがとう。
俺は水に流す事にしたよ。
でも、我妻っちも笹やんも加東くんも被害を受けているからね。彼らにも、何がしかの損害賠償をしてもらわないと、俺も慰謝料はもらいづらいよ」
「いや。イトキン…伊東ちゃんには言ってなかったけど、我妻っちにも慰謝料渡したし、笹やんの親も緑ケ丘のお試し移住の家を一軒貰ってるし、加東くんもこの前、美容室でヘアカットして貰ってるんだよね。みんなとっくに納得してる。もう伊東ちゃんだけなんだよね」
確かに言われてみれば、加東はそこら辺の女子よりも手入れの行き届いた感じになって、何なら魅力的にさえ見えた。
笹木一家は緑ケ丘で暮らしているのなら、火事の前よりもかなり上位ランクの生活だ。
我妻については、元々頭のネジが一本足りない所があるから、どう本人が納得したのかはよく分からないが、とにかくみんな納得したのなら何の問題もない。
しかし、伊東は頭がくらくらした。仲邑の認識と自分の認識があまりにも違いすぎたからだ。しかも何だか曙美と仲邑の間でこんなにもスムーズに事が進むのであれば、そもそも自分が出でしゃばってタマを潰された事自体が無駄だった様に思えた。最初に戻れるのであれば、自分は絶対に何もしないだろう、と思った。
「仲邑。俺が伝えるのがヘタだったのかもしれないけど、俺は謝罪と慰謝料さえクリア出来たら、それで十分だったんだよね。だから、曙美関係の話は、これでお仕舞いにしよう」
もっと細かい経緯なども含めて言いたかったが、また変な方向に行っては困るので、努めて簡潔に伝えた。
「そうか。それなら気が変わらないうちに慰謝料を受け取ってくれ」
仲邑は伊東に慰謝料の入った封筒を手渡した。
伊東はグッタリと疲れてしまった。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
伊東は小便をしながら、ここでキンタマを握り潰されたんだよなぁ、などと懐かしんでいた。
「伊東くん」
聞いた事のない、若い女の声だった。
しかし伊東は全然小便が止まらなかった。それにしても、なぜこの町は女子が男子トイレに入ってくるのだろう、と思った。
「伊東くん。あなたの思っている通りよ。この町は管理されているの」
小便が止まった。
振り返ると、そこには加東が立っていた。
伊東はズボンのチャックをあげてから振り返らなくてはいけない所を、先に振り返ってしまったものだから、陰部が丸出しになっていた。
(続く)
