ダンマパダ241
ダンマパダ(法句経)241番の言葉は、手を入れず、放っておくこと(怠惰やなおざり)が物事をいかに荒廃させていくかを鋭く説いていますね。
この深い教えを基に、誰も住まなくなったおばあちゃんの家、そしてそこに集う親戚一同の心のあり方に焦点を当てたお話に仕立ててみました。
荒れゆく家と、忘れられた声
祖母が旅立ち、誰もいなくなった古い家は、驚くほど速く生気を失っていきました。
「修理しなければ家屋が汚れ、なおざりになるならば、つとめ慎しむ人が汚れる」
仏典のその言葉通り、風の通らない畳は湿気を含み、庭には雑草が茂り、かつて家族の笑い声で満ちていた空間は、ただ静かに朽ちていくのを待っているかのようでした。残された親戚たちも日々の忙しさに追われ、いつしかその家から足が遠のき、お互いに連絡を取り合うことも少なくなっていきました。家が荒れるにつれ、親戚一同の結びつきまで、どこか「なおざり」で濁ったものになっていく——そんな危機感を、誰もが薄々感じていたのです。
息を吹き返す場所
「このままでは、おばあちゃんにも、私たち自身にも申し訳ない」
一人の呼びかけをきっかけに、親戚たちが重い腰を上げました。まずは、家の修繕です。傷んだ床を張り替え、雨漏りを直し、窓をすべて開け放って新鮮な空気を入れました。形ある家を直すことは、そのまま、ばあちゃんが遺してくれた大切な場所を自分たちの心の中で修繕していく作業でもありました。
そして、見違えるほど綺麗になった仏間に、親戚たちが集まります。
この日ばかりは、日頃のラフな格好ではありません。誰もが背筋を伸ばし、大人の嗜みとしての**正装(礼服)**に身を包んでいました。身なりを整えることは、祖母への、そしてお互いへの敬意の表れです。「身なりを怠るならば容色が汚れる」という教えの通り、正装した一同の表情は、どこか厳かで、美しく引き締まって見えました。
響き合う、つとめ慎しむ心
誰の姿もない、けれど確かに祖母の気配が残る家で、法要が始まりました。
「読誦しなければ聖典が汚れる」
その教えを胸に、全員で声を合わせてお経をあげます。誰も住んでいないはずの家に、力強い読誦の響きが広がっていきました。お経はただ形式的にあげるものではなく、声に出して読み、心に響かせてこそ、その神聖さを保ちます。
読経が響き渡る中、かつてこの家でつとめ励み、家族を慎み深く支え続けた祖母の姿が、みんなの脳裏に鮮やかによみがえりました。
お経をあげ終え、互いの正装姿を見渡したとき、親戚たちの心からは、あの「なおざり」にしていたことへの罪悪感や淀みがすっきりと消え去っていました。家を直し、身なりを整え、声を合わせてお経をあげること。そのすべてが、バラバラになりかけていた親族の絆を再び清らかに、強固に結びつけ直してくれたのです。
主(あるじ)なき家は、今や荒れ果てた空き家ではなく、親戚一同が「つとめ慎しむ心」を取り戻すための、大切な聖地となりました。
