私がnoteを書く理由
私はいつから人と話すことにこれほどの苦手意識を持つようになったのだろうか。
おそらく、中高生の頃の人間関係が影響しているのだと思う。ここでは詳しく語らないが、当時、深い交友関係を持つ人はごく僅かで、自分のことを友人に多く語ることもなかった。
そのため、多くの会話の機会を自ら手放してしまい、トーク力や自分を表現する能力を著しく成長させるチャンスを長い間損失してきたのだと思う。
大学生になり、そんな過去の反省を踏まえて、人と話すことへの苦手意識を克服するために色々な挑戦をしてきた。 失敗を恐れずに人前で話す勇気を出してみたり、コンテストに参加したり、町おこしに携わる若い起業家の方々と接点を持ったり。そうしたプロジェクトへの参加を通じて、地域の企業の方々や、様々な社会人と関わる機会にも恵まれた。
確かに、これらの挑戦によって得られた恩恵は幾つかある。
まずは、社会人への適応だ。自分と歳が離れた20代、30代以上の大人と喋ることで、所謂「社会人慣れ」ができた。相手との会話の中で自分が何を聞かれ、何を求められているのかという、受け答えの素養は鍛えられたと思う。
そしてもう1つは、コミュニティの広がりだ。学外に居場所を作り接点を持ったことで、色々な会に呼んでもらえるようになるなど、自分を外の世界へ開く大きなきっかけになった。
こうして上手く克服できたように思われたかもしれないが、実際はそうではなかった。「苦手意識を克服する」という目的で始めた試みも、現実はそんなに簡単に治るものではなかった。むしろ、話すこと自体への恐怖や不安は、今でもほとんど変わっていない。
ただ1つ変わったことがあるとすれば、人と話すときに自分の言葉を伝える技術や愛想、口調といった、表面的な部分だけだったのだろう。
数ヶ月前まで、私は小さな職場でアルバイトをしていた。しかし、そこでの強烈なパワハラによるストレスから「ここにいるべきではない」と感じ、そこを辞めて1ヶ月ほど前に新しいアルバイト先に入った。
これは以前の職場でもそうだったのだが、出勤時刻の数時間前になると、とにかく落ち着かなくなって心の騒めきが激しくなる。コンディションが悪いときは、全く喉に食べ物が通らなくなり、水すら飲めないほどだ。
現在は飲食店で働いているため、結果として人々が食事をするタイミングで働くことになる。その時間帯の食事もできなくなるので、食べられないままシフトに入ると、勤務の途中で激しい空腹に襲われる。
かといって、バイトが終わった後に食べようとしても、空腹のはずなのに不思議と食べる気力が起きない。一度このリズムを崩してしまうと、元に戻すまでに最低でも丸1日はかかってしまう。
こんなにも身体的な症状が出ているが、今のアルバイト先にはハラスメントのようなものは一切ない。一緒に働くパートナーの方々も優しく、丁寧に接してくれる。分からないことがあっても嫌な顔一つせずに教えてくれる。
それなのに、なぜなのだろうか。私はとにかく、出勤時刻が近づくだけで、自然と心が苦しくなってしまう。 実際に家を出て職場に到着してしまえば、いつも通りに動くことができる。ただ、その出勤するまでが酷く億劫で、準備をして家を出るまでに必要なエネルギーが、普通の人の数倍以上かかってしまうのだ。
なぜなのだろう。なぜここまで、私は人と話すことを苦分に思ってしまうのか。 そこには間違いなく、「相手が何を考えているか分からない」という恐怖心がある。未知のものに対して恐怖を抱くというのは人間が持つ普遍的な性質だ。
この2年間、人と話すことへの苦手意識を克服しようと藻掻いてきたが、最近になって気づいたことがある。表面的には改善されたように見えても、根本的な部分は何も変わっていない。
ただ、これも冷静に見つめ直せば、それほどおかしなことではないのかもしれない。中高生の頃に、意識的にそういうスキルを身につける機会を自ら放棄してしまった自分にも原因があるのだから。
最近の心境としては、この苦手な「人と話すこと」は、もう私には直すことができないのだろうと感じている。 いざ話し出してしまえば話せるのだ。けれど、とにかく話し出そうとするその瞬間までに、異常なほどの時間とエネルギーを費やしてしまう。この自分自身の苦しみは、過去の自分が招いたものだ。今後一生、私はこの苦手意識と向き合い続けなければならない。
将来について、もっと短いスパンで言えば、大学を卒業して就職し、今以上に人と話すことやコミュニケーションを取ることを仕事として当たり前にこなさなければならなくなる。どんな業種・職種であっても同じだ。 だからこそ、この苦手意識を完全に直そうと躍起になるのではなく、苦しくても自分の中で経験値を積んでいくしかないのだろう。これまでと同様に、愚直に、コツコツと。
私はある種の覚悟を決めた。 人と話す能力に対する苦手意識を、私はもう克服することはできない。中高時代の自分から逃げてしまった代償を私は一生かけて背負っていくのだと思う。
そう思うと、私がこうしてnoteで言葉を紡いでいるのも、まさにその覚悟が大きな要因なのだろう。
実際、人に話そうとするとき、自分の中で考えがまとまっているはずなのに、いざ口を開こうとした瞬間にどこか自分の思考に自信が持てなくなり、言葉に詰まってしまう。自分の考えていることを文字に書き出すのはそこまで苦ではないのに、話そうとするとその倍以上のエネルギーを必要とする。
だからこそ、このnoteのように「テキストで情報を伝えること」が私にとって一番自分の考えを自由に、密度を持って、最大限に伝えられる媒体だ。そしてここは私を認めてくれる大切な居場所でもある。
継続して私の記事を読んでくれる人がいる。私の記事を引用してくれる人がいる。 それこそが私がこれからもnoteを書き続ける、一番根本的な動機なのだろう。
