そこにコトノハの花は咲かない:話の流れで、という罠に近いもの #1
食器を洗い、火の元を確認して食堂へ。ノリと酉林様の歓談は続いており、僕は食堂の入り口で足を止め、その光景に見入ってしまった。ノリが積極的に人と話している。記念に動画に収めておきたいほど希有な姿。
気が済むまで話したら良い。そっとしておこう。とは思うものの、もうすぐ午前一時半。浴場の使用は午前三時まで。他のお客様達は既に入浴を済ませているから特段急いでお勧めすることもないけれど、酉林様は疲れているかもしれない。体調を崩されでもしたら、せっかくの旅が台無し。お声がけしておかないと。
僕が食堂の入り口で会話の途切れるタイミングを見計らっていると、ノリがチラリと僕に視線を飛ばしてきた。
「覗き見、盗聴は禁止です」
「え? いや違うよ! お風呂のことを酉林様に」
「それはとっくに俺が話しました」
「あ……そうですか。ありがとうございます」
「いえいえ、これも当直の仕事ですから」
無表情に近いドヤ顔を見せたノリに小さく頭を下げ、僕は酉林様に顔を向けた。
「では、私はフロントにおりますので」
「あ、佐々木君ちょっと待って」
僕が言い終える前に、酉林様は腰を浮かせて手招き。
突然の指名に驚きながら、僕は酉林様のもとへ。さあさあ君もかけたまへ、とでも言うように、酉林様は自分の隣の椅子を引いた。戸惑う僕に、酉林様の対面に座るノリは、首を一度だけ縦に動かして見せた。座れと言う意味だろう。
「……失礼いたします」
恐縮して椅子につくと、酉林様は体の正面を僕に向け、じいっと、それはもう、じいっと、僕の顔を見据えてきた。
「ああー……うん似てる。言われてみれば、だけど」
何かを納得された様子で、酉林様は笑顔を見せて頷く。何の話だろうか。問いを投げる前に、ノリが口を開く。
「うちの父さんと酉林さん、同級生だって言ったろ?」
「え?」
「ということは、お前の?」
「僕の?」
「お、か」
「あ! そういうこと」
僕は答えを見つけると同時に、ノリが【酉林様】から【酉林さん】に呼び方を変えたことに気づく。おそらく酉林様のほうから申し出たのだろう。なんとなく、そんな気がした。
酉林様は湯呑に残ったマタタビ茶をぐいと飲み干し、僕に問いを投げてきた。
「お母さんは元気なの?」
「あ、はい……元気だと思います」
「思いますって?」
「そんなに顔を合わせないんで」
「男の子だし、そんなもんか。佐々木君は、ここに住み込んでるんだってね。今時珍しいな住み込みで働くなんて。プライベートの確保が難しいんじゃないの?」
「プライベートってほどのものは……覚えたいこともたくさんありますし、ここに住んでるほうが都合が良いと言うか……旦那様のご厚意に甘えてしまって申し訳ないんですけど」
「陽一は器がデカイからなぁ。昔っから人気者だよアイツは。包容力があるって言えばいいのかな。そういうところに、晴美ちゃんも惹かれたんだろうね」
うんうんと頷く酉林様と僕の前で、ノリはボソリと零す。
「見た目もデカイですけどね」
「矩明君! それあえて言わなかったんだけど、いぬおかは自虐OKなんだね?」
「NGは出されていません」
ビシっと言い切ったノリ。一拍間をおいて、酉林様が笑いを漏らす。ひとしきり笑い、疲れたように長い息を吐くと、酉林様は静かに言葉を並べ始めた。
「ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだよ……本当に」
椅子にもたれた酉林様。初めて見せる物憂げな表情。疲れたといった感じではない。どうかなさいましたか、と聞くのは憚られる。と僕が思っていると、
「なにかございましたか? 僕らで良ければ、伺いますが」
ノリがズバリと口にする。しかも勝手に僕も加えて。正直、重苦しい話は苦手だ。まあ、話さないだろうけど。
「ああ、いや……」
ほらやっぱり。酉林様はお困りだ。いくら短時間で打ち解けた仲とはいえ、心の内をそうやすやすとは話せないだろう。もしも【訳アリ旅行】なら尚更だ。
「……うん、聞いてもらおうかな」
言うんだ。
僕は思わず目を大きくしてしまった。瞬きで誤魔化し、ノリに視線を。
座ってろ。
ノリの目は、そう言っている。
酉林様は気まずそうに苦笑いを浮かべながら後頭部を撫で、背筋を伸ばして椅子に座り直した。話す覚悟を決めたようにも見える。
僕は聞く意思を示していない。けれど、さっさと退散するわけにもいかない状況に陥ったようだ。そして僕が聞く覚悟をする前に、酉林様は語り出した。
