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『星ヨミ樹の世界』 第13話 眠るまえの物語

#創作大賞2026  #ファンタジー小説部門

第13話 眠るまえの物語

白い靴をもらった日の午後、
観測舎の床に、
小さな足音が何度も響いていた。

てく、てく。
てく、てく。

フィオナは、
ナビエルが作ってくれた白い靴で、
何度も観測舎の床を歩いていた。
裸足には慣れていた。
靴を履くと、
世界はまた違って見えた。

木の幹だって、細い枝だって、
ちくちくする足の痛みを気にせずに、
すいすい登れそうだった。
でも、勝手に登ると怒られる。
だから星ヨミ樹に登るなら、
ナビエルと一緒に、と決めていた。

驚くほど軽い靴だった。
冷たくない。痛くない。
それだけのことが、
まだ少し不思議だった。

「フィオナ、じょうず!」

観測舎の床をてくてく歩くたび、
シロルが長い耳をぱたぱた揺らしながら
嬉しそうについてくる。

少し離れたところでは、
ミロが気だるそうな顔のまま、
しっぽだけをゆるく揺らして言った。

「……後ろのリボンがかわいい。
フィオナの髪と同じ色だね」

「本当ですね、すごいです」

フィオナは自分の薄水色の髪と
靴紐の色を見比べた。
そしてまた一歩、
白い靴で床を踏んだ。

「ミロ、なんでフィオは敬語なんだろ?
ぼくたちにまで」

「……そういう環境だったんだろ。
無理に直す必要もないと思う」

「それもそうだね、
フィオは今のままのフィオで
ぼくは大好き」

シロルは鼻をぴくぴくしながら
彼女の後を追った。

つるりとした床。
窓辺に落ちる星ヨミ樹の葉の光。
そのどこを歩いても、
靴は足を包み込んで守ってくれる。

途中で、温室の入口まで行ってみた。
午後の温室には、
昼の光が透きとおるように
差しこんでいて、
細葉の影が硝子の床に揺れていた。
白い靴の先に、葉影が重なる。

「外も歩けそうだよね?」

シロルが耳を揺らす。

「勝手に外出するな」

観測デスクから、
ナビエルの声がした。

振り向くと、
白い衣の背中が見える。
観測デスクでは、
透明なドームのなかの歓迎の葉が、
昼の光の中でひそやかに
明るさをたたえていた。
ナビエルは星字を静かに追いながらも、
フィオナが歩くたびに、
見ていないようで、
ちゃんと気配を感じているようだった。

「はい、わかりました」

フィオナは嬉しそうに、
またてくてく歩きはじめる。
その後をシロルがぴょんぴょん追う。

「相変わらず過保護だな、エル」

エメラルドグリーンの瞳を
片方だけ開けて、ミロが言った。

ナビエルはミロの言葉は
聞こえたのかわからないが、
また黙々と作業をはじめていた。

午後のあいだ、
フィオナは観測舎の中を
ひたすら歩いた。
寝台のそばからソファまで。
ソファから温室の入口まで。
温室の入口から、
また自分の小さな寝台まで。
2階へも少しだけ。

ついでにお掃除も
シロルとミロと一緒に手伝った。
といっても、
気まぐれに床の掃除をしてくれる
植物がいるようで、
掃除をするのはその植物の蔦が届かない、
家具の上や棚のすみだけだった。

掃除を終えると、
フィオナはシロルとミロと一緒に、
温室のベンチで一休みした。

「フィオ、ピカピカだね!」

「シロルもミロもお疲れ様でした。」

「たまにはいいね、
掃除しなくても、
いつもそこそこ綺麗だけど。」

やがて日が傾きはじめ、
観測舎の光はゆっくりと、
夕方の色へ変わっていった。

軽い夜の食事を終えるころには、
ドーム硝子の向こうに
深い藍色の空が満ちていた。
窓の外の星ヨミ樹は、
昼の白さをひそめ、
夜の青白い気配を
その枝葉に抱きはじめている。

フィオナは自分の寝台のそばに腰を下ろし、
そっと靴を脱いだ。
脱いだばかりの白い靴を、
きちんと揃えて置いてみる。
白い靴は、
寝台のそばでちょこんと並んでいる。

靴。
食卓。
歩くこと。
気にかける言葉。
自分の席。
やさしいものが、ひとつひとつ、
胸の中へ静かに積もっていく。

本当なら嬉しいはずなのに、
心のどこかで少しだけ戸惑っていた。
消えてしまいたかった頃の自分が、
ほんの一瞬だけ脳裏をよぎる。
冷たくて、暗くて、
何もいらないと思っていた自分。

けれど、その深い影は長くは続かなかった。
寝台のそばに揃えた白い靴が、
そこにあったからだ。

そのとき、廊下の向こうから、
やわらかな足音がした。

「少し疲れたかい?」

ユキだった。
金の瞳が、雪洞草の淡い光の中で
静かにこちらを見ている。
フィオナは少しためらってから、
小さくうなずいた。

「……はい、少しだけですが。
それから……」

「うん」

「なんだか、そわそわして
……落ち着きません」

言葉を探すように、少し間があく。

「……ここは、わたしにはあたたかすぎて」

ユキはすぐには何も言わなかった。
ただ、その言葉を急がせずに
受け止めるように、
優しくフィオナを見つめた。

「なら、眠る前に何か読もうか」

フィオナは目を瞬いた。

「……よむ?」

「そう。小さな物語を。
フィオ、ついておいで。」

その声に、シロルがすぐ耳をぴんと立てる。

「なになに?ものがたり?」

「……シロル、行くつもりでしょ。
ぼくもう眠いけど……」

ミロが低くつぶやき、
しっぽをひとつ揺らした。

結局、フィオナとシロルとミロは、
そろってユキの部屋へ行くことになった。

ユキの部屋は、
主空間より少し灯りを落としてあった。
楕円の小さな天窓の向こうでは、
星ヨミ樹の葉が
星のまたたきとともに揺れている。
壁際の植物たちは静かな影を落とし、
部屋の空気そのものがやわらかかった。

長椅子にユキが腰かけ、
その少し横へ、フィオナもそっと座る。

最初は少しだけ間をあけていたけれど、
シロルが反対側から飛び乗ってきて、
ぴたりと寄り添ったので、
気づけば距離は自然に近くなっていた。
ミロは足もとへ静かに丸くなる。

ユキは棚から細長い箱を取り出した。
白い箱には、銀色の薄い線で
幾何学模様が細やかに描かれている。
品のある美しい飾り箱だった。

そっと蓋を開けると、
中から現れたのは、
一冊の薄い本だった。

フィオナは、それを見て目を丸くする。

「……それは?」

記録板とも、観測に使う硝子板とも違う。
少し厚みがあって、表面には絵がある。
ユキはその本を膝の上に置き、
表紙をこちらへ向けた。

表紙には、白いうさぎが
風呂敷に何かを背負って
星のあいだを駆けている絵。

とても色合いが美しい。
その上には、
地球の文字で題名が記されている。

Space Doctor

「絵本だよ」

ユキが言った。

「地球で親しまれていた本なんだ」

「えほん……」

フィオナは、
その言葉にどこか懐かしさを感じた。
そしてはじめて聞く音みたいに
小さく繰り返した。

ユキはうなずく。

「絵といっしょに、物語が入っている本だ」

「かわいくて、きれいですね。
早く中が見たくなります。」

「ふふ、これは、
子どものころに地球で手に入れて、
気に入って持ち帰った
数冊のうちの一冊なんだ」

ミロが低く言う。

「……紙だ、珍しいね」

「うん」

ユキは表紙をそっと撫でた。

「今はもう、
紙の本はあまり残っていないからね」

フィオナは息をひそめたまま、
その本を見つめていた。
表紙を見るだけでワクワクする。

「すてきです……」

フィオナが小さくつぶやくと、

ユキはやわらかく微笑んだ。

「さて、読むよ」

ユキが本をひらく。

頁がめくられる音は、
羽音よりも静かで心地よかった。

一頁目には、白いうさぎが、
月の光みたいな
青い野原の上を走っていた。
小さな包みを背負って、
星のあいだをまっすぐに駆けていく。
その向こうには、
青くまたたく星の海が広がっていた。

「うわあ……!」

シロルが身を乗り出した。

「ぼくだ!」

そして、次の瞬間には胸を張る。

「……すごいよ、ぼくが主役だね!」

ユキはくすっと笑った。

「そうだね。耳の長いところは、
そっくりかも」

「でしょ!」

「……でも、このうさぎの方がスリム」

と、ミロがぽつりと言う。

「えーっ。
ぼくのほうが百倍くらいかっこいいと思う!
見て、このふかふかしっぽ!」

シロルが抗議する。

ユキはページを押さえ、
やわらかな声で読みはじめた。

”とおい星から星へ、光よりはやく、
うちゅうを旅するうさぎがいました――”

その声は、
不思議なくらい耳にやさしかった。
ひとつひとつのことばが急がず、
まるで夜の入口へ明かりを
灯すかのように。

”うさぎは
びょうきになった
家族をなおしてもらうため

うちゅうのどこかにいる
スペースドクターを
さがしにいきました。
星のあいだをかけぬけて…”

ページがめくられるたび、
絵が変わる。
景色が変わる。
同じ本の中で、
白いうさぎも、
星がまたたく景色も、
みんな生きている。

フィオナは夢中になって見ていた。
いつの間にか、
ユキの服の裾を小さくつまんでいる。
もう他のことは何も気にならないほど、
夢中になっていた。

シロルは最初こそ、

「わ、きれい!」とか

「つぎはどこへ行くの?」とか、

小さな声で何度も反応していた。
けれどユキの声が静かに続いていくうちに、
その反応はだんだん少なくなり、
耳の動きもゆるやかになっていく。

ミロは最初から静かだった。
フィオナの足もとで丸くなったまま、
ときどきしっぽをひとつ揺らしている。

物語が半分ほど進んだころには、
シロルはフィオナの隣へ寄りかかり、
長い耳を肩にかけるようにして、
もう半分眠っていた。
ミロも目を閉じていて、
けれど完全には寝ていないように、
呼吸だけがゆっくりしている。

フィオナだけが、
ぱちりと目を開けたまま
絵本を見ていた。

”ありがとうございます!
うさぎはスペースドクターにお礼をいうと
またもとの星に
かえっていくのでした
元気になった家族といっしょにーーー”

最後の1ページが終わった。
ユキがパタンと絵本を閉じた。

こんなものがあるなんて、知らなかった。
お話を読んでもらえる時間が
こんなに素晴らしく
ワクワクするものだということも。

気づけば、胸の奥の落ち着かなさは、
少しずつほどけていた。

「そのあとはどうなりましたか?
とっても気になります。
うさぎさんはとっても強いですね」

フィオナは真剣にユキに聞いていた。

「そうだね。
この続きはフィオが
考えていいんじゃないかな」

「それはまだちょっと難しいです」

「ふふ、ゆっくりでいいんだよ」

ユキはフィオナの薄水色の小さな頭を
さらりと撫でた。
フィオナはユキの横顔をまっすぐ見つめた。
胸のあたりが、
ひどくやさしいもので満たされていく。

「……ユキ、もっと聞きたいです」

やっと出た言葉は、それだった。

「うん」

ユキが微笑む。

「気に入ったようでよかった」

「……はい、とても」

少しだけ息を吸ってから、続ける。

「もっと読みたいです。
……まだ、寝たくない」

ユキの金の瞳が、やわらかくほどける。

「うん、また読んであげるよ」

「……うれしいです、ありがとうございます」

「うん。たくさんではないけれど、まだある。
記録の形ならもっとたくさん見せられるよ。
紙のものは、あと数冊だけだけどね」

フィオナは、表紙を見つめた。

もっと見たい。
もっと知りたい。

「その、ちきゅうって
……どこにあるんですか?」

ユキは少しだけ目を上げた。

「興味あるのかい?よし、見せてあげよう」

低い卓の上に置かれていた
透明な記録板へ、
ユキが指先を触れる。
すると青白い星字がふわりと浮かび、
淡く光る立体的な
小さな宇宙地図がひらいた。

フィオナは息をのむ。

無数の光が静かに広がっている。
ひとつひとつが星。
白や、赤、青など
いろんな色の星が無数に光っていた。

ユキの指先が、
そのうちのひとつへそっと触れる。
そこに浮かんだのは、
青と緑をまとった小さな星だった。
白い雲がうすくかかり、
海がやわらかく光っている。

「ほら、これが地球だよ」

「きれい……」

そのとき、
開いたままの扉の向こうから、声がした。

「……兄さんの思い入れの深い星ですね」

ナビエルだった。
ユキの部屋の扉は半分開いたままで、
その向こうには、短い廊下と、
温室へ続く青白い光が見えていた。

ナビエルは温室の入口近くで、
何か作業をしているらしい。
姿は見えない。
けれど、その声だけが、
廊下を通ってこちらへ届いた。

ユキはわずかに口もとをゆるめる。

「エル、聞いていたのかい」

「たまたま聞こえただけです」

「ふふ、そういうことにしておこう」

フィオナは青い星を見つめたまま、
小さくたずねる。

「行ったことあるんですか?」

「あるよ、もちろん」

ユキはうなずいた。

「私も、エルも、子どものころによく行った。
地球の景色や文化が好きでね」

「花の香り、海の音」

廊下の向こうから、
またナビエルの声がした。

「街の灯り。雨の匂い。
どれも兄さんと熱心に記録しましたね」

フィオナは、
星図に浮かぶ
青い小さな地球を見つめた。

なぜだろう?
どこか懐かしい。

そこに、絵本の色が重なる。

白いうさぎ。
夜の星。
遠くに見える惑星。

「いまも、ありますか?」

と、フィオナ。

ユキの目が少しだけやわらいだ。

「あるよ。
大きな災厄に見舞われたけれど、
絶えはしなかった。
今は少しずつ、
また息を吹き返している」

「……また元気になりますか?」

「なるよ、必ず」

ユキの声ははっきりと力を込めて
そう言った。

「時間はかかっても、また再生できる。
生命は循環をやめない。
……だからこそ、惹かれるんだと思う」

フィオナは、そのことばを
胸のなかでそっと受け止めた。
大きく傷ついても。
全部が終わってしまいそうでも。
それでも、少しずつ戻っていく星がある。

星図の中の地球は、とても小さかった。
けれどその小ささの中に、
見たことのない景色や
たくさんの生き物たちのぬくもりまで、
感じられた。

やがて、まぶたが少しずつ重くなってくる。
ユキがそれに気づいて、
星図をそっと閉じた。
青白い光が静かにほどけ、
部屋はまた、やわらかな灯りだけに戻る。

「フィオ、おやすみ」

そう言って、ユキはまた、
フィオナの頭をやさしく撫でてくれた。
眠りを急かすのではなく、
ほどいていくみたいな手つきだった。

「よしよし。今日はたくさん歩いたからね」

その声を聞いたとたん、
フィオナの肩の力がまた少し抜ける。

「……この絵本、大好きです」

「うん」

「地球もいつか行ってみたいです」

「そうだね。ゆっくりお眠り」

ユキはやわらかく微笑んだ。

「また読んであげる。ほかの本も」

フィオナは、
それを聞いて安心したように目を閉じた。
その目の前で、
シロルがすっかり眠っている。
長い耳はだらりと垂れていて、
ミロも足もとで静かに丸くなっていた。

ユキは少しだけ身をかがめると、
うとうとしているフィオナを
そっと抱き上げた。
小さな体は、驚くほど軽かった。

「シロル」

ユキが小さく呼ぶと、
白いうさぎは半分眠ったまま
耳をぴくりと動かした。

「むにゃ……」

「部屋へ戻るよ」

それだけで、シロルは寝ぼけたまま
ぴょこぴょこと後をついてくる。
ミロも静かに立ち上がり、
しっぽをひとつ揺らして歩き出した。

主空間へ戻ると、
いつのまにか観測デスクに戻っていた
ナビエルの背中があった。
青白い星字がいくつも浮かび、
その前で長い指が静かに動いている。
足音に気づいて、
ナビエルがほんの少しだけ振り向いた。
その青い瞳が、
ユキの腕のなかのフィオナを見る。

「兄さん、ありがとうございます」

「うん。エルもほどほどにして休むんだよ。
フィオは、エルのお気に入りの絵本を
とても気に入ったみたいだよ」

ナビエルはそれには返事をしなかった。

フィオナの寝台へ着くと、
ユキはその小さな体をそっと下ろした。
毛布を肩までかける。
ミロは足もとへ静かに丸くなり、
シロルは枕元へぴたりと寄り添った。

フィオナは半分眠ったまま、
毛布のなかで小さく身じろぎする。

ユキがもう一度だけ、
額のあたりの髪をなでる。

「よい夢を」

やさしい声が、眠りのふちへ落ちる。
フィオナの唇が、ほんの少しだけ動いた。

「……はい」

それが返事だったのか、
夢の中のことばだったのかはわからない。
けれどその小さな声を聞いて、
ユキの目もとがやわらかくほどけた。

寝台まわりの灯りが、
少しだけ落とされる。
窓の外では、
星ヨミ樹が青白い夜をまとって
静かに枝を広げていた。

フィオナは、眠りの底へ沈んでいきながら、
閉じた本の表紙を思い出していた。

Space Doctor。

星を駆ける白いうさぎ。
青い地球。
まだ見たことのない海と空。

知らないものが、まだこんなにある。
見たいものも、聞きたいものも、
これから少しずつ
増えていくのかもしれない。

そしてその夜、フィオナは
夢を忘れてしまうほど、
深い眠りについたのだった。

第14話 「小さな芽吹き」へ続きます。

♪おまけ♪
第13話「眠るまえの物語」のイメージイラスト

眠る前、ユキはフィオナに
地球の絵本を読んでくれた。
フィオナはまだ見ぬ星と物語に
心をひらいていく。
おまけのもう一枚。
本編にはない場面ですが、
ユキの読み聞かせに、
ナビエルもそっと加わっていたら。
そんな想像から生まれた、
宝物のイメージイラストです。

ユキの読み聞かせの本は
絵本『うちゅうのおいしゃさん』との
ちいさなコラボをしのばせました♪

世界観・設定・加筆・監修: Lunavi / minamiayako



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