聴覚過敏と生きてきた私のこと
思い返せば、聴覚過敏の特性は幼稚園の頃からありました。けれど、その頃の私は「これは普通じゃない」と気づくこともできず、ただただ怯えながら日々を過ごしていました。
例えば、「よーいドン」のピストル音。
夏祭りで打ち上げられる小さな花火。
クリスマス会で鳴らされるクラッカー。
どれも「楽しいイベント」に欠かせない音ですが、私にとっては命を削られるような恐怖の時間…。
怖いというより、恐怖に支配される感覚。
耳を塞ごうと指を強く突っ込みすぎて、耳から出血したこともありました。
そしてその時でさえも、誰にも気づかれないように、涙なんか見せないようにと、耳の奥で大きく鳴る心臓の鼓動を数えながら、必死に耐えていました。
「この鼓動を何億回、私は数えてきただろう」と今では思います。
でも、まわりの大人も、友達も、だれ一人としてそのつらさを理解してくれませんでした。
「私がおかしいんだ」
「こんなことで泣くなんて、私が悪いんだ」
そうやって自分を責めるようになったのは、たぶんこの頃からです。
中学生になってからは、表面上は我慢できるようになってきました。
でも、それは「慣れた」わけではありません。
自分の感覚を押し殺す方法を、なんとか身につけただけでした。
そして今、大人になった私もなお、大きな音や振動が伴うものには恐怖を感じます。
最近では、人には聞こえない重低音に悩まされることが増えました。
特に夜、周囲が静かになると余計に気になって、眠れなくなってしまう。
睡眠障害を起こした時期もあります。
引っ越しをすることで、多少は落ち着きましたが、今でも耳栓なしでは眠れません。
本当は、耳栓では重低音は防げないのに…それでも、お守りのように毎晩つけています。
この特性は、きっとこれからも私のそばにあるのでしょう。なくすことはできないけれど、理解してくれる人が少しでも増えるように、こうして言葉にしてみようと思いました。
「聴覚過敏」という言葉を、知ってもらいたい。
そして、その中にある「日常のつらさ」にも、目を向けてもらえたら嬉しいです。
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