Sunoでわかったこと。「何を足すか」より「何を足さないのか」。
Sunoを使っていると、ときどき不思議なことがあります。
同じようなプロンプトでもう一度作ってみる。
テンポも同じ。
ジャンルも同じ。
「切ない」
「エモーショナル」
「メランコリック」
⋯⋯雰囲気ワードも、同じ。
なのに、なぜか昨日の感じには戻らない。
今日の私が、昨日の私よりも、ちょっぴりセンチメンタルなだけなのかもしれません。
と、お悩みだったりしませんか?
最初の頃の私は、そこでさらに指示を増やしていました。
ピアノ。ギター。ストリングス。シンセ。壮大なサビ。ラップ。ドラマチックな展開⋯
いわば、全部乗せです。
ですが、全部乗せにすると忙しくはなるのに、不思議と曲の輪郭が薄くなることがありました。
悪くはない。ちゃんとそれっぽい。
ですが、どこかで聴いたような感じがする。
全部乗せは、豪華にはなる。
でも、個性的になるとは限らない。
そこで最近、作り方を変えてみました。
まず、原曲をできる限り良くする。
もちろん、いきなり豪華な完成形を作ろうとはしません。
まずは歌とアコギくらいでも構わない。装飾が少なくても、「これは良い曲だ」と思えるところまで原曲を仕上げる。
豪華にしてから良くするのではなく、良くしてから豪華にする。
たとえば、最近こんな曲を作りました。
最初は、フレンチボッサです。
この段階で、曲としてまあまあ気に入っていました。
最終的には別のアレンジへ展開するつもりだったので、完成形から逆算して、まずはできるだけシンプルで強い原曲を作ることにしました。
アレンジを削っても、歌として成立するか。メロディは残るか。サビは口ずさみたくなるか。
そのうえで、あとからEDMにしてみました。
かなり印象は変わります。
ですが、曲の芯は残る。
原曲が強ければ、アレンジを変えても強い。
EDMにもできる。
ロックにもできる。
アコースティックにも戻せる。
不変のコアがあるから、大きな変化にも耐えられる。
最終形から逆算して、いちばん大事なものから先に作る。
少し遠回りに見えて、実はその方が近かったりします。
意外と大事だったのは、コードでした。
この頃から、私はプロンプトを入れる前に、コード進行も先に考えるようになりました。
同じテンポ、同じジャンルでも、コードが変わるだけで曲の印象はかなり変わります。
コード理論を完璧に知る必要はありません。私も「この進行は、どんな景色になるのか」を試しながら覚えています。
最近は、曲をドライブのように考えています。
コード進行は、目的地とルート。
ベースとドラムは、クルマと走る速度。
メロディは、車窓から見える景色。
アレンジは、天気や時間帯、街の灯り。
同じ「海へ行く」でも、神奈川なのか、千葉なのか、茨城なのかで、道中の景色はまるで違います。
音楽も少し似ています。
同じテンポ、同じジャンルでも、コード進行が変われば、曲がたどる景色は変わる。
だから私は、アレンジを豪華にする前に、まず「どこへ向かう曲なのか」を決めるようになりました。
曲を作ることと、曲を飾ることを分ける。
「Songwriting」と「Arrangement」を、同時にAIへ考えさせない。
これだけでも、ずいぶんAIの迷いが減りました。
もちろん、他にも曲を格上げする細かいテクニックはいくつもあります。
メッチャあります。ちゃんとあります。
ですが、それを全部足し始めると、この記事まで「全部乗せ」になってしまいますから⋯。
ミイラ取りがミイラになっちゃいます。
AIには、足すより先に「境界線」を伝える。
リミックスするときも、「何を変えるか」より先に、「何を変えないか」を決めています。
コードは残す。
メロディは残す。
歌詞は残す。
そして、入れてほしくない展開も伝える。
もちろん、具体的な指示を出すことが悪いわけではありません。
ただ、「エモい」「壮大」「おしゃれ」といった曖昧なワードを足していくことと、「ここは変えない」と境界線を決めることは、似ているようで少し違います。
AIとの付き合い方で大切なのは、たくさん命令することではなく、どこを固定して、どこを自由にするかを丁寧に伝えること。
ここは残してほしい。
ここは自由にしていい。
これはしないでほしい。
おそらく再現性を上げるというのは、AIを迷わせないことなのだと思います。
そして、ここで少し不思議なことが起きました。
Sunoは、一度の生成で2曲の候補を出してくれます。
普通なら、その2曲は同じプロンプトから生まれていても、メロディや展開、歌い方に少しずつ違いが出ます。
むしろ、違うからこそ「どっちがいいかな」と選べるわけです。
ところが、何度か、
「これ、ほぼ同じ曲やん?」
ということがありました。
サビだけではありません。
曲全体の雰囲気やメロディ、展開まで、かなり似ている。
最初は、生成がうまく差別化されなかっただけなのかと思いました。
ですが、ふと逆に考えました。
「Sunoが迷っていない証拠」なのでは?
普段、プロンプトにはたくさんの情報を入れます。
ジャンル。楽器。テンポ。雰囲気。ボーカル。展開。音色。質感。
情報が増えれば増えるほど、AIにはそれだけ多くの解釈の余地が生まれます。
どれを強く拾うのか。何を優先するのか。どこを自由にするのか。
だから2曲の候補が、それぞれ違う方向へ進む。
ところが、プロンプトの中にある情報が少なくても、すべてが同じ方向を向いていたらどうでしょう。
AIに残された選択肢は、かなり狭くなる。
細かい違いを作ろうとしても、結局また同じ場所へ戻ってくる。
だから、2曲作っても似る。場合によっては、ほとんど同じ曲になる。
もしそうだとしたら、「似てしまった」のではなく、「AIが迷わなかった」。
という見方もできます。
もちろん、これはSunoのアルゴリズムを知っているわけではなく、私自身の制作経験からの仮説です。
ですが、私にはかなり腑に落ちました。
再現性が高いプロンプトとは、毎回まったく同じ曲を出すプロンプトではない。
AIが迷わず、同じ方向を向けるプロンプト。
言い換えれば、再現性とは、狙った世界線から外れにくくすることなのだと思います。
全部を固定する必要はありません。
自由にしていい場所を、こちらで決めればいい。
そう考えると、
プロンプトで本当に大事なのは、情報量の多さではなく、書いてあることが、全部同じ方向を向いているかどうか。
なのかもしれません。
プロンプトは、命令文ではないのかもしれない。
ここまで考えて、さらに気づいたことがありました。
私たちは「プロンプト」というと、AIに命令する文章のように考えがちです。
もっとこうして。ここを変えて。これを追加して。あれも入れて。
ですが、本当は少し違うのかもしれません。
プロンプトとは、人間の頭の中にあるイメージと、AIの解釈のズレを埋めるためのコミュニケーション。
なのではないか。
人間同士でも、「いい感じにしておいて」で通じる相手もいれば、まったく違う「いい感じ」が返ってくる相手もいます。
そこで説明を100個足せば必ず通じる、というものでもありません。
むしろ、
「ここだけは違えないでほしい」
「ここは自由でいい」
「これはやらないでほしい」
と伝えた方が、こちらの意図は伝わりやすいことがあります。
つまり、
良いプロンプトとは、詳しいプロンプトではなく、AIを迷わせないプロンプト。
AIに何をさせるかだけではなく、こちらが何を大切にしているのかを共有する。
そう考えると、プロンプトデザインという言葉も、少し違って見えてきます。
「命令の技術」ではなく、
「解釈のズレを減らす技術」。
それが、AIとのコミュニケーションなのだと思います。
そして、この作り方にしてから、音まで少しクリアになった気がします。
気のせいかもしれません。
ですが、以前より明らかに音が窮屈じゃない。
まるでSunoが、ストレスのない環境でのびのび創作しているのが分かるくらいです。
退職代行を使ってブラック企業を辞めた人くらい、すっきりとした美音になりました。
これはSunoだけの話でもありません。
ChatGPTでも。
Geminiでも。
Claudeでも。
Canvaでも。
noteでも。
何かを作っていると、私たちはつい、あれもこれも足したくなります。
もっと詳しく。もっと具体的に。あれも。これも。
ですが、指示が増えるほど、こちらの意図が鮮明になるとは限りません。
むしろ、何を一番大切にしているのかが、情報の中に埋もれてしまうこともあります。
全部を縛る必要もありません。
同じ指示でも、思いがけず良いものが出てくる。
いわば、作曲ガチャです。
だから私は、作曲ガチャをなくすのではなく、作曲ガチャを回す場所を決める。
くらいに考えています。
枠組みは固くする。
ノイズは減らす。
余白だけ自由にする。
あれ?
「これ、会社もそうじゃん」
「人間関係もそうじゃん」
「人生もそうじゃん」
ここまでずっとSunoの話をしていたようで、実は「足さない」という話をしていました。
そして、もうひとつ。相手を完全にコントロールするのではなく、解釈のズレを減らす、という話でもありました。
私たちは普段、「何をすればいいか」ばかり考えています。
もっと働く。
もっと勉強する。
もっと発信する。
もっと人に会う。
もっと稼ぐ。
何かを良くしようとすると、すぐ足し算を始めます。
ですが、足せば足すほど豊かになるとは限りません。
予定も、人間関係も、情報も。
増やしすぎれば、むしろ自分の輪郭が見えにくくなることがあります。
そして、ここでも少し逆算してみる。
欲しい未来があるなら、目の前に何かを足すより、まず土台を整える。
何をするかより、何をしないか。
何を持つかより、何を手放すか。
誰と付き合うかより、誰と距離を置くか。
足し算は、可能性を増やします。
ですが、引き算は、輪郭を描いてくれます。
自由とは、何でもできることではなく、何をしないかを、自分で決められること。
EDMを作りたかったから、最初にEDMを作らなかった。
Sunoで曲を作っていただけのはずなのですが。
気がつけば、そんなことを考えていました。
そして、投資もまた然り。
