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短編小説/飼育箱の中で、君は安息を飼いならす 《#シロクマ文芸部》

一般的によく嫌われるアノ虫が嫌いな人は、ちょっとだけご注意ください。私も虫全般が苦手ではあるんですが。

おことわり


祈ることしか、僕にはできなかった。
だってこうなったら、うちのクラスの女子たちはもう手がつけられないから。
せめて、佐藤叶羽かのはの心が折れませんように。
いつものように、それを祈った。

「美術係、早くチェックして職員室に持っていっちゃえよ」
「だから、係は由香なんだってば。無理だよ」
「私だっていやだー。触りたくない」
「えー、オレは平気だよ」

2年B組の教卓の脇でいつまでもグズグズ言うみんなに、莉子が一喝した。

「オレは平気とか、そういう問題じゃないよ。このポスターのどこが『命を大切に』なの。命を粗末にしてるじゃん。そもそもが、あり得なくない?」

あー、と数人が顔を顰めてポスターを遠巻きに見下ろす。
美術係の由香が、教壇に集まった夏休みの課題をチェックした時、思わず悲鳴をあげて床に落としてしまったのが叶羽の作品だった。
美術係の由香は、教室の後方まで叫びながら逃げて震えていた。

気持ちは分かる。
すごく、グロテスクな絵だ。

てらてらと光るカブトムシを捕まえようと、大樹の幹に手を伸ばす少女の後ろ姿。その腕や背中には毛虫が数匹這っている。アゲハの幼虫もいるけど、毛が生えて気持ち悪いのも、ゲジゲジもいる。
反対の手は飼育箱を持っていて、その中にも幼虫のようなものがいる。描かれているのではなく「居る」。
朝か夜か分からない空。赤黒い筋が歪んで流れ、パラシュートのように遠くに堕ちる。
そしてポスターの下半分、描かれた女の子の足元には無数の虫が踏みつけられたように死んでいる。これもただの絵じゃない。死んでいる虫のいくつかは立体的で、透明のボンドで隙間なく貼り付けられている。原形をとどめてないのが多いけど、黒茶の艶が本物っぽい光を放っている。蝉やトンボの羽根みたいな、よく見るときれいな模様の羽も貼り付けられている。あれらは絶対、本物だと思う。かつて生きていた、本物のカブト虫や毛虫の一部、なのだと思う。

絵自体は、うまいというほどではなかった。描かれた少女の体のバランスがおかしい。背伸びしてるのだと思うけど、つま先がこっちを向いている。飼育箱を持つ手は、二の腕が長すぎる。肘を曲げているというより、途中でポキンと折れているみたいだ。何故か足は大小と六本あって、地面の虫を踏みつけている。
見るものを不安定な気持ちにさせる絵だ。目眩がするほどに。

ただ一生懸命に作ったのだろうことはわかる。叶羽はいつもそうだ。だから、無碍に否定できない。
これは叶羽の「作品」なんだ。

彼女は小学校の頃から虫が好きだった。3年くらいまでは男女関係なく、校門の脇の桜の木に群がる毛虫を注意深く観察した。体育館裏の、石の下のダンゴムシ、百葉箱のそばの蜘蛛の巣にかかった蝶を、いつも一緒に、見つけては遊んだ。

貼り付けんのってアリなの。コラージュ作品だよ。動物愛護ポスターなんだから虫はダメなんじゃない。人間以外の生き物なら何でもいいってセンセイ言ってたし。隣のクラスは魚とか豚とか描いてよ。あれはまたテーマが別だって。食のなんとかとか、環境のなんとかとか。

莉子に反論してるのは坂下さん。それらの言葉を背中に受けながら、叶羽はゆっくり作品を拾い上げ、再び担任の机上に置こうとする。

「だから! そこに置いたら気持ち悪くて由香が席に座れないじゃん。自分で職員室まで持っていってよ」

美術係の由香は虫嫌いで有名だ。蝿が飛んでいるだけでいちいち五月蝿く騒ぎたてる。
由香の席は一番前。その隣が莉子。さっきから一番ギャンギャン吠えてるのが莉子。なにかにつけ叶羽のことを悪く言うのは。いつも莉子。
何を言っても叶羽が莉子に気を使おうとしないところが、莉子は気に入らないのだろう。

「遅くなったな。はい、ホームルームすっぞー」
先生が後ろのドアから教室に入って来た。みんなはパラパラと席に座るが、由香はもじもじしてロッカーの前から離れない。
「どうした、由香。はよ座れ」
由香の代わりに莉子が口を開く。
「先生、由香は座りたくても座れません。見てください、これ」

なになにと教壇まで歩き、絵を見た瞬間に先生は「キモッ」とめちゃくちゃ率直な言葉をもらした。
教師の口から出てはいけないはずの単語が飛び出して、莉子と仲の良い女子たちや、いつもうるさい男子達が軽く吹き出す。

たまらず、坂下さんが立ち上がって猛抗議する。
「先生、叶羽さんが一生懸命作った作品をキモいて、すっごく失礼じゃないですか」
「あっ、すまん、すまん」
先生は素直に謝った。坂下さんと、叶羽に向けて。そしてもう一度作品全体を眺める。
「すごいな。え、なにこれ、本物……じゃないよな」
先生はポスターをうっすらと撫でながら尋ねた。叶羽が、今日初めて口を開く。

「本物の、ゴキブリです」

ぎゃあという悲鳴があちこちからあがった。
前方の席の人は、残らず一斉にのけぞるが、後方の男子は立ち上がって一歩前に出て作品を覗き込む。由香はロッカーの前で耳を塞いでしゃがみ込んだ。

あの艶はカブト虫じゃなくて、ゴキブリか。妙に納得した。叶羽の家はあんなに大量にゴキブリが出るんだろうか。いや、小さい粒はスイカの種じゃないかな。
莉子がのけぞったままの姿勢で先生に質問した。

「先生、美術作品はクラス代表を決めて美術展に出すんですよね。だから暫く教室に飾って、クラス代表は投票で決めるって。やるんですか。みんなが気持ち悪がってるのに、飾るんですか」

先生はあらためて教室を見回す。叶羽はど真ん中の席で俯いてしまっているから、僕からは表情が見えない。たまらずに坂下さんが再び立ち上がる。

「叶羽さんは昆虫が好きなんです。みんなカブト虫は好きとか言うくせに、他の虫は平気で殺そうとする、そんなのおかしいですよね。叶羽さんは、命は平等だって言ってるんです。美術展に相応しい作品です。犬猫が可愛いだけの絵なんて、命の大切さは伝わりません。昨年はそんなのばっかりで、つまらなかったって、みんな言ってましたよ」

先生は、いやぁと言いながら、叶羽の絵をどけて他のポスターをチラっと眺める。僕もさっき一通り見た。莉子が描いたのは、自分の家で飼っている犬を撫でている絵。「一生だいじに」と書かれていた。そもそも坂下さんがその絵に「ありがち」と吐き捨てるように呟いたのが発端だと僕は踏んでいる。

ポスターで問題提起するのは良いことだなと先生が頷くと、莉子が叫ぶように発言する。

「先生、その絵で確実に気分が悪くなる人がいるんです。トラウマです。まさかそれを飾るんですか? 勘弁してください。勉強が手につきません。その絵の前で給食なんて食べられません」

給食、と半分笑いながら、でも半分納得したように、先生は再び虫の絵を眺める。眉を顰めて。
立ったままの坂下さんが続けて言う。

「山田君は犬が苦手だったよね。昔、追いかけられてから、ずっと恐怖の対象なんだよね? 先生、犬がダメな山田君のために、犬の絵も飾らないでください」
突然名前を挙げられた山田君は、申し訳なさそうに下を向く。坂下さんのこの意見には莉子以外の女子から声があがった。

「えー。そんなこと言いだしたらきりがないよ。全部ダメになっちゃうじゃん。ポメ、可愛いのに」

その言葉を皮切りに教室が一気にざわつく。
可愛いからオッケーとか変じゃね。ソレあなたの感想ですよね。あはは。全部ナシにしようぜ。宿題も美術展もイラネー。せっかく描いたんだから全部ダメはおかしいよ。真面目に描いた子がかわいそう。

「全部ダメになるのはおかしい。だからせめて犬猫は飾っておこうって、少数派は排除しようって考えは、もっとおかしいです」

坂下さんが叫ぶ。教室の中のさざなみは止まらない。動物と昆虫と同列で扱えないよ。基準は? 好き嫌いで投票したらダメなの。民主主義は多数決だ。

ここにきて先生がビシッと話を止めるように大声を張り上げた。

「ちょっと話がズレてきてるぞ。議論をするのはいいことだけどな。1時間目始まるから、この話はいったん先生が預かる。いや、今年は教室に掲示するのはやめるだろうな。クラス代表も、投票じゃなくて美術の那珂川先生と相談して決める」

「え。じゃあ、代表にならなかったら誰にも見てもらえないってことですか。何のために描いたの」

「仕方ないだろ。誰かがひどく心を傷めるっていうなら。誰ひとりも傷つけない。それがB組みんなで決めたクラスモットーだもんな」
先生が眉をあげて「なぁ?」とみんなに念を押す。

私のミーコもですか。ひどい、頑張ったのにと後方から女子の囁きが聞こえた。そこでロッカーの前に座り込んでいた由香が、初めて声を上げた。

「先生。私、傷ついたなんて言ってません。そんなこと一度も。虫は好きじゃないから驚いただけです」

座っていた莉子が、怪訝な顔をして由香を振り返った。由香が続ける。

「もう大丈夫です。叶羽ちゃんの作品は悪くないです。みんなの作品も、もちろん叶羽ちゃんの作品も飾ってあげてください。私にはよく分かりませんけど、立派な芸術作品だと思います。叶羽ちゃんが一生懸命にテーマと向き合って描いたのを否定することなんて、誰もできません」

由香の意見に莉子は眉根を寄せた。
「じゃあ予定通り、みんなの作品を飾ってもいいか」
先生が言って、せっかく話がまとまりかけると、今度は亀田が座ったまま「えー、でも先生さあ」と声をあげた。

「あんなの飾ったら、結局、毎日給食の時間に莉子が文句言うだろ。んで、また坂下が怒り出すんだろ、叶羽じゃなくてさ。もう、めんどくせーから飾らないほうがいいんじゃね 。上手いとか下手とか、芸術とか芸術じゃないとか、そんなの俺らに判断できねえし。選べねぇし、ぶっちゃけ、どうでもいい。もめる原因のものはない方がいい。その方が平和だよ 。な。そう思うやつ手あげて!」

亀田が最後まで勢いよく言い放ち、大きく手を挙げる。それにつられたのか同意見なのか分からない男子が数人、申し訳なさそうに手を挙げた。その反応を見て、男女問わず、徐々に挙げる手の本数が増えた。
目をつぶって多数決を取ったら、この意見が一番多数派になるのかもしれない。

ぶっちゃけ、どうでもいい。

面倒とか、どうでもいいとか、その発言はいただけないなと、先生はみんなの手を下げさせた。
だけど先生だって、本音ではそう思ったから「預かる」と言ってごまかしたんだろ。

そこで叶羽が立ち上がった。

「それ、本当は私の作品じゃありません」

はあ? とみんなの視線が叶羽に集まる。
叶羽は、机の横に掛けていた青いプラスチックの作品収納ケースを持って教壇に近づいた。
ポンと蓋を開ける。

「一生懸命描いたわけでもありません。弟が、ホイホイに捕まったゴキブリとかコオロギを私の作品用の紙に貼り付けたんです。だからもう、それでいいやって。この人間も弟が描いた絵を切って貼り付けたんです。私ならもっと上手く描くし。それで、あと、周りに適当に絵を付け足しただけです」

言いながら作品をクルクルと丸めた。黒茶色の欠片がいくつも床に落ちる。スカートを抑えてしゃがみ、拾いながら話を続ける。
「命とかの、深い考えもテーマも別にありません。ゴキブリも嫌いじゃないけど、うちの中にいたら普通に殺します。お母さんがギャーギャー騒ぐから」

そして茶色の欠片を手に持ったまま立ち上がり、遠くの由香を見てハッキリ言う。

「芸術ってなんですか。私にも分かりません。一生懸命テーマと向き合って作ったのを芸術作品と呼ぶなら、これは芸術作品でも何でもありません」

教室は静まり返った。呆気にとられて、誰も何も言わない。

「先生、美術の宿題は他のテーマでも描いてます。だから、こっちは取り下げます。すみませんでした」

先生はホッとしたように、そうか、と言った。
叶羽は無造作に、プラスチックケースに茶色の欠片を詰め込んで、ぎゅうと蓋を閉めた。

掃除の時間が終わり、僕はゴミ袋を抱えて校舎の裏に回った。
そこに叶羽が、いた。
結ばれたゴミ袋を開けて、青いプラスチックケースから今朝問題になったポスターを取り出し、端からゆっくりと破き始めた。

「え! 待って。なんで破いちゃうの」

慌てて駆け寄った僕の声に、叶羽が驚いて振り向く。
「なんでって。え、逆になんで」
「え。逆になんで、ってなんで?」
「え、何言ってんの。ウケる。なんで君から『待って』とか言う言葉が出てくんの、って聞いてんの」
言いながら、叶羽は破き続ける。
僕は一瞬言葉に詰まった。だけど叶羽の腕を抑えて言った。

「よく、できてるから。そう、思ったから」

叶羽の表情は無になって、手が止まった。僕たちの目が合った。
ぽ、と小さな音を立てて開いた叶羽の唇から「へえー」と平坦な音階が流れた。再び手を動かして言う。
「あのさぁ、でもさ。破いて捨てる以外の選択肢があるわけ? 持って帰れないし」
問われて、僕はまた黙った。
「なんで破くかってさ。それはさ、君が正しいからだよ。だから、私も倣って正しいことをする。それだけ」
叶羽の言葉を、僕は聞き返した。

「僕が、正しい?」

叶羽は黙って頷いた。用紙に貼られたゴキブリの背中をベリベリと剥がしながら。

僕は、あの時、何も言わなかった。
悲鳴を挙げなかったし、
手も挙げなかったし、
意見を言わないどころか、
何の意思も示さなかった。

手を止めずに、叶羽は楽しそうに、歌うように言う。
「問題提起なんてしない方が平和じゃん。マジョリティに飲み込まれて、笑ってさ、自分の好きなものを隠して、自分の美しいをねじ曲げて生きる。その方が平和で、幸せ。そうだろ? 君はそう思ってた。少なくとも、あの時。それが正解だ。だから、ここにいる」

叶羽の指先で、腕の折れた少女が真っ二つにちぎられて、ビリビリと悲鳴をあげる。
飼育箱の中に閉じ込められていた幼虫は、よく見たら羽のもげた蜻蛉だった。透明のロウのようなもので綺麗に塗りかためられている。コオニヤンマ。
叶羽は、それをつまんでゴミ袋にそっと入れた。

「勘違いすんなよ。そもそもそんなに強い主張があったわけじゃない。虫の命なんてどうでもいい。本当にただ、こうしたら面白いかなって思って貼っただけ。夏休みは自由だったからさ。うっかり好き勝手し過ぎた。学校始まって思い出した。マイノリティは淘汰されていくんだったって。自然の摂理ってやつ? 遺伝子だか生命力だか強いのが生き残って、強い命だけが続いていく。学校で習った、だろ?」

そんな言葉を投げられても、それでも僕は、彼女の手を止めることはできなかった。彼女の手のひらからこぼれだす、刻まれるたびにあがる悲鳴を、止めることが、できなかった。

平和を乱すモトとなるものが、粉々になっていくのを最後まで2人で見届けた。叶羽は、ゴミ袋の真上でプラスチックケースを逆さまにする。てらてらとしていた黒茶色の殻がいくつも落ちて、紙くずの中に深く沈んでいった。

「でも、ゴキブリは何億年も前から生き続けてるよ」

僕の言葉に、叶羽は手を止めた。
真っ直ぐに僕の目を見て「そうだね」と微笑んだ。
違う。手を止めたんじゃない。もう、捨てるものが全部なくなったんだ。
彼女は小さく頷いて言った。

「だから人間は躍起になって殺そうとするのか」

彼女はすっきりした顔でゴミ袋をぎゆっと結ぶと、両手を合わせて目を閉じた。

祈るように。


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豆島  圭 最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。

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