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内科検診の話とコーチの話とパターナリズムとインフォームドコンセントの話

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この話がSNSで出た際に、私は結構憤ったのですが皆さんはどうでしょうか

もうちょっと自分の考えをまとめたので、今回はそれをまとめます

味覚の過敏さや偏食に無理解のコーチ

内科検診への服の着用へ無配慮の医師

知識や理解がない 

知識があっても当事者の話を聞かない、話し合いの場を設けない

いままでの惰性的な姿勢を変えられない

自分たちが「正しい」という姿勢を崩せない

という「弱さ」「適性のなさ」があります

と断じたのですが、今でもその気持ちは変わっていません

一緒にする話ではない という意見もあるのですが私は問題の「根っこ」は同じだと考えています

この話に対する批判で

家族、親のせい、責任である

大きな病気に気づかない可能性がある

誰もやりたがる人がいなくなる

子どもが嫌がったら何もさせないのか

という内容をあげる人もいるのですが、そういう話ではないのです

私が言う「知識や理解」というのは

「頭が良い」

とか

「勉強ができる」

とか

「技術を教えることができる」

とか

そんなものではありません

「対人援助職」 人と関わる職業で大事な基盤となる知識の理解とその実践がなされていない

ということです

以下に説明していきます

パターナリズムとインフォームドコンセントの話


私は今回のこの問題の本質は「パターナリズム」と「インフォームドコンセント」

この二つだと思っています

どちららも対人援助職なら聞いたことがある、確実に学ぶ言葉です

パターナリズムとは

こちらの記事で書いたものを引用しますね

意味としては

強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること です

先生と学生

医師と患者

保育士と子ども及び保護者

親と子ども

国と国民

そういった関係性で起こりやすく、例えをあげるとするなら

・先生が学生のためだと本人の希望を聞かずに進路を決めてしまう

・医師が患者に対して、話なども聞かずに薬を処方する

・保育士が子どもや保護者の意見を聞かずに新しい行事を始める

・子どもの意思を聞かずに、親が子どもの遊びや遊び方、友人関係を決める

・国民の声を反映せず、的外れな政策や条例を決める

といったところでしょうか

「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること」

に当てはまってますね

「有知識の人」と「無知識の人」との関係性で起こりやすく

平たく言うなら

「あなたのためを思ってやっているで、思い通りに動きなさい」ということですね 

余計なお世話、おせっかいとも言えますね

支援者は「自分の支援や関わりがパターナリズムになっていないか」と常に確認しなければならないのです

今回の問題に関係するとは思わないでしょうか

そして、このパターナリズムに対して、「対人援助職」が実践しなければならないことに

「インフォームドコンセント」という概念があります

インフォームドコンセントとは

「インフォームドコンセント」とは「概念」です

しかしその概念は医療法にも定められているほど重要なものです

福祉の現場でもことさら重要視されています

様々な病院、施設で定義づけはされていますが、大きくズレることはありません

WIKIがよくまとまってたのでここで引用させていただきます

インフォームド・コンセント(英: informed consent)とは、「医師と患者との十分な情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念

医師が説明をし、同意を得ること。 特に、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(英: informed)

対象者が自らの自由意志に基づいて医療従事者と方針において合意する(同意する)(英: consent)ことである

単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもインフォームド・コンセントに含まれる

この概念で大切にされているのは「同意を得るのは患者さんの自己決定が主体である」というもので、患者さん、被支援者とのコミュニケーション、対話の「プロセス」なのです

その中には

オープンクエスチョンでの主訴、悩みの抽出(ASK)

十分な説明、対話での対象者の価値観、人生観の確認と治療、支援への反映(TALK)

患者さん、支援者さんの理解力を見極め、理解したかの確認、情報量の調節(ASK)

といった技術的にまとまっている内容もあります

今回の問題に重ねると…

さて、では上記の内容を踏まえて今回の問題を見てみるとどうでしょうか

お子さん、ご家族と対話し、説明し、理解力を見極め、自分のやろうとしていることに納得をいただけるように言葉を尽くしたでしょうか

そんなことはありません

説明なく、食べられないお子さんを連れていき、あまつさえその内容をSNSに晒しました

かたや

大きな病気が見つけられる可能性がある というズレた指摘

子ども達やご家族への説明も納得も得ないまま話を進めることに何の違和感も抱かない

そういった話より更に前、

「対人援助職の基礎の基礎の内容ができていません」

ということなのです

「対人援助職でしっかり説明責任を果たしている人たちに失礼、信用失墜行為だからしっかりやってください」

という怒りでもあります

知識や理解がない 

知識があっても当事者の話を聞かない、話し合いの場を設けない

と断じるのに私はなんの抵抗も違和感もありません

指導者、支援者となり得るすべての人は、しっかり相手を見据えて対話し、説明責任を果たさなければなりません

今回のことは、いままでも「おかしい」という思いを抱いていた人の不満が一気に噴出した結果だと思っています

本来なら、小さな不満、不安、納得のできなさ を丁寧に説明して解消していけば、このような大事には至らないのです

それに対して、「不満を持つのはおかしい」と蓋をするなら、今後も更に大きな爆発が起こると私は考えています

ものすごく大きく俯瞰すると、「日本社会全体」にこの傾向があるとすらある と感じる次第です

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以上になります
これからも少しづつ投稿していけたらと思っています
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