砂時計
レナは鏡に映った自分を見つめる。
自分が容姿に恵まれていることは知っている。
父親のくっきりとした二重瞼と、高い鼻。
母親のストレートヘアと、白い肌。
二人の長所がいい具合にブレンドされた顔は、幼少期から周囲にもてはやされて来た。すらりとした手足も両親譲りだ。
レナは常々思っていた。女の子にとって「可愛い」はパワーだ。可愛いとみんなが優しい。友達も、先生も、店員さんも。
そしてなにより自分自身に優しくできる。
この時代、世間には可愛くなるための情報が溢れている。レナも友達も、容姿を磨くのに夢中だった。スキンケア、メイク動画、ファッションアイテム紹介、同じ年頃のインフルエンサーたちが何でも発信してくれる。
だからこそ、レナは「可愛くないまま」でいる女の子たちが不思議だった。年頃なのに化粧もせずに、髪もボサボサでいる子たちのことが理解できないし、少し気味が悪かった。
彼女たちは不思議と仲間を見つけるのが上手で、教室の隅で目立たないようにコソコソと話していた。レナは彼女たちが少し苦手だ。悪い子たちではないのだろうけれど、話が合わない。
レナがもっと苦手なのは「フレネミー」だ。「かわいいなかま」の振りをして、笑顔で近づいて来て、陰でレナの悪口を言うのだ。
こういう子達が現れたのは、小学校高学年位からだろうか。最初レナは自分が何かしてしまったのか、と悩んだ。けれど同じパターンに何度も遭遇して理解した。これは、嫉妬だと。
レナは中学生になる前に「女の敵は女」という言葉の意味を知った。でも悲しくはない。ルックスのいい友達は、多かれ少なかれ同じような経験をしていた。これは「可愛い」にかかる税のようなものなのだ。
男の子たちは皆レナに優しかった。それも一部の女の子達から「フレネミー」される原因だと、レナは知っていた。だからと言って、レナにはどうしようもないことだ。男の子も可愛い女の子が好きなのだから。
レナは勉強はあまり好きでは無かったが、ごく普通の平均点を取れる程度には要領が良かった。両親はレナに中学受験をさせ、中堅大学の付属校に進学させた。内部推薦で大学まで進学できるためか、校風は少しのんびりしていた。
レナは中学高校と、この小さな箱庭のような環境で、概ねの平和と少しの息苦しさを感じながら少女時代を過ごしていた。ルッキズムとスクールカーストの波に揉まれながら、生まれながらに与えられた「可愛い」を武器にして。
「レナちゃんは芸能界に行かないの?」
レナは周りの友達によくこう言われた。
「レナちゃん、その辺のアイドルよりよっぽど可愛いのに」
「もったいないよ、この間スカウトされたんでしょ?」
レナは渋谷や原宿に遊びにいくと、よくスカウトマンに名刺を渡された。大手の事務所からのスカウトもあったし、レナ自身もアイドルやインフルエンサーの活動に興味があった。しかし両親は良い顔をしなかった。
特に母親が芸能界に嫌悪感を示した。
「アイドルとかってある種水商売みたいなものだから、レナには染まって欲しくないな…」
レナがスカウトやオーディションの話をすると、母は決まって難色を示すのだった。
レナは母が美容やファッションにそれほど重きを置いてないことを知っていた。母の顔はレナと違って一重瞼であっさりしている。化粧も身だしなみとして捉えているようだ。「可愛い」とは違う価値観で生きているのだと思う。
「ママはどうしてレナに芸能人になって欲しくないの?娘を応援してくれるママもたくさんいるじゃない?」
ある時レナは、母に率直に聞いてみた。
「うーん…」
母はしばらく考えていたが、言葉を探すようにゆっくりと話し始めた。
「ママはね、レナはすごく可愛いと思ってるよ。顔も可愛いし、スタイルもいい。親バカじゃなくて、客観的に見てもね。レナがお化粧やスキンケアも頑張ってることも知ってる。偉いと思ってる。でもね…」
「でも?」
「若さと可愛さって、すごい武器になるけど、永遠じゃないでしょ?若い時にそのパワーでいっぱい良い思いをして、40歳くらいになってそのパワーがもう使えなくなって、普通の人になった時に、不幸せになっちゃった人をたくさん見ちゃったんだよね…」
「うん…」
「あと、アイドルとか芸能人とかって他人の目に晒されて、意地悪な批判も受けるし、誹謗中傷とかもあるし。悪い大人のおじさんとかもいっぱいいるし。まだ高校生なのにそういう世界に行ってほしくないんだよね…」
レナは母の目をまっすぐ見つめる。
「でも、みんな10代のうちにデビューするんだよ?高校生のうちじゃないと、価値が下がっちゃうよ」
母は苦い顔をする。
「うーん…ごめん。レナが未成年のうちは、ママは首を縦に振れない。レナが芸能界に入って、もし何かあったら、ママは一生後悔するから」
レナは少し考えて首を傾げる。
「じゃあ、大人になったら、いいの?」
母は渋い表情で笑う。
「大人になったレナが決めた事なら、ママはもうどうすることもできないよ。傷つくのも痛い目に遭うのも、自分の責任だから。ただ、賛成も応援もしない。やめとけばって言うと思う」
「おっけ、わかった」
レナはあっさり返事をすると、自分の部屋に向かう。母が少しホッとした表情を浮かべたのを、視界の隅に捉えながら。
レナはベッドに寝転がると、スマホでショート動画を流し見る。自分よりも「可愛くない」子たちが、アイドルの一員として配信をしている。
「ママはわたしのこと心配してくれてるんだよね…。それはわかるんだけど…」
自分が今手に持っている、最高に価値ある財産が、少しずつ失われていく焦燥感は、母には理解し得ないだろう。何故なら母は、それを手にしたことがないのだから。
若さと美貌はひっくり返せない砂時計だ。全部下に落ちたら、もう元には戻らない。母はパワーを失った時の話をしていたけれど、パワーがあるのに使わないのは、失う前から損失しているのではないだろうか。
「はあ…」
レナはショート動画をスクロールする。自分より年下の女の子が、メイク用品を紹介している。きっと何かの案件で、謝礼もたくさんもらえるのだろう。かたや自分は、校則で禁止されているからとバイトも許されないのだ。
「ああ、お金欲しい。有名になりたい」
18歳になったら…。レナは思う。
18歳は高校生だけど、成人だ。ローンもできるし、いろいろな契約もできると、社会の授業で習った。ママは「大人になったら止められない」と言った。
夢を叶えるための切符はもう持っている。貰ったたくさんの名刺は、捨てずに取ってあった。ネットで検索して、怪しくなさそうな事務所を選んで連絡すれば良いのだ。レナにはもうそれだけの知恵も行動力もある。
母の理解と協力が得られることが理想だったけれど、この分では難しそうだ。今まで母のことを友達のようにも慕っていたが、やはり母も世代なりの価値観で凝り固まっているのかもしれない。
レナは立ち上がると、机の上のカレンダーを手に取る。パラパラとページをめくり、誕生日の日付を赤いペンでハート型に囲った。
「よし!」
その時、階下から母の優しい声が響いた。
「レナー、お風呂沸いたよー」
「はーい!」
レナは明るく返事をすると、着替えを手に階段を降りて行った。
Étude:「鏡、切符、砂時計」
