ちょうどいい働き方
14時55分。
岡田真美はダイニングテーブルにセットしておいたノートPCの電源を入れる。15時から派遣会社とのオンライン面談が予定されていた。
チャットツールを眺めていると、定刻通りに担当がログインしてくる。社会人3年目といった風体の若い男性だ。
「本日はよろしくお願いします」
氏名、生年月日、住所などの基本情報の確認の後、学歴や職歴の確認が行われる。
事前に入力しておいた過去の職歴を読み上げながら、担当が聞いてくる。
「差し支えなければ、過去にお勤めのお仕事をお辞めになったご理由を、それぞれお伺いできますか?」
真美はさらりと答える。
「正社員時代は全てキャリアアップのためです。今回は少し働き方を見直したくて、派遣のお仕事に応募しました。」
「人間関係が」とか、「残業が多すぎて」とか、本当の事を彼に言っても仕方がない。この男は友達でも味方でもないのだから。
「今回ご応募いただいた案件ですが…」
いよいよ本題だ。
真美が応募したのは、「週4〜5日・10時〜16時など6時間から相談可」という営業事務の仕事だった。職場のロケーションも勤務時間も希望通りのものだ。
キャッチコピーは「ちょうどいい働き方、見つけませんか?」だった。
担当の男はモニターの向こうで上目遣いに微笑んでいる。
「時短・日短をご希望との事ですが、何か特別な理由はございますか?」
「日短」という言葉は初めて聞いた。
真美は担当の言葉を繰り返す。
「特別な理由…?例えば、何ですか?」
担当は困ったように笑う。
「そうですね。介護とか、子育てとか、ダブルワークとか…」
真美は少し考えて答える。
「うーん…子育てと、ダブルワークですかね」
「お子さん…っておいくつでしたっけ?」
「大学生二人ですけど」
「ああ…。ふふっ」
担当の男が小さく笑う。
真美は少しだけ不快になる。子供が手を離れたからこそ、自分の時間が欲しくなってこの働き方を選ぼうとしているのだ。学費のめどもついたから、これからはお金を稼ぐよりもプライベートを大切にしたい。再開したい趣味の手芸を「Wワーク」と称したのはご愛嬌だ。
担当の男は神妙な顔で続ける。
「勤務時間なんですけど…規定の時間より開始時刻が遅くて、終業時刻が早いというご希望なんですが、これって、せめてどちらか合わせられませんか?」
真美は募集要項を確認する。
「規定の時間って?」
「あ、この欄に書いてありますよ」
求人広告の下の方に、小さな文字で「週5日、月曜〜金曜、土曜月2回程度(出社時は平日代休)、9:00〜18:00」と記載がある。どうやらこれが本来の就業条件のようだ。
真美は心の中で『字、ちっちゃ…』と呟くが、努めて穏やかな声を出す。
「すみません、今回はこの大きい文字の条件で探していたので…こちらの内容で応募します」
担当の男の微かな苛立ちが伝わってくる。
「でも、職場の他の皆さん、定時で働いているのに、一人だけ朝遅くて帰りも早いってなると、岡田さんもちょっと気まずい思いをなさるんじゃないですかね。
せめて朝定時に来るか、帰り定時まで働くとか…。日数も週4って、絶対ですか?週5ってご検討いただけませんか?」
真美は心の中でだけため息をついた。
「すみません、今回は条件を変えるつもりはないんです…」
担当の男が小さくため息をついたのを、真美は聞き逃さなかった。
「…岡田さん、一応先方に岡田さんの条件で確認はさせて頂きますけど、どこか譲っていただけますと私としてもお話がしやすいのですが…。
全部が思い通り、というのは難しいかもしれません。それでもこのままの条件で先方に確認いたしますか?」
ああ、出た、またこのパターン。
なんかこっちがわがまま言ってるみたいな空気。ちょっと責められてる感じ。
面倒になった真美は、出せる限りの感じの良い声を出した。
「申し訳ありません、今回は色々な事情で条件を変えるつもりはないんです。もし先方にお断りされても仕方がないと思っています」
担当は少し焦ったような声を出す。
「え…お仕事しなくて大丈夫なんですか?」
「ええ。ずっと週5で働いてたので、失業手当もらって、ちょっとゆっくりしてもいいかなって」
担当はにやにやと笑いを浮かべる。
「え…ブランク空いちゃうじゃないですか。もったいない。…失礼ですけど、ご年齢のこともありますし、お早めに探された方がいいかと思います」
真美は心の中で「本当に失礼だわ」と呟く。
これ以上、何を話しても無駄だ。早めに切り上げよう、と真美は明るい声を出した。
「今回は、私の確認不足で条件違いの案件にご応募してしまったみたいで、大変申し訳ありませんでした。また週5日でお仕事できるようになったら、改めてご応募させていただきます」
担当の男は少し恐縮したように姿勢を正す。
「いえ、そんな。もちろん岡田さんのおっしゃる条件で先方にも確認させて頂きます。ただご紹介が難しかった場合は、メールでのご連絡となりますので、ご了承ください」
相手がチャットツールからログアウトしたことを確認すると、真美は大きく息を吐く。
「ふう…」
真美はちょっとおどけて呟いてみる。
「いや、週4で6時間だから応募したんだし。週5で8時間だったら、応募してないし。ブランクが開いて勿体無いのはあなたたちから見て、でしょ?しかも年齢って…失礼すぎるだろ、小僧」
リビングに虚しく響く声に、苦笑いが浮かんでくる。
「ちょうどいい働き方って…あなたたちにとって『ちょうどいい働き方』ができる人を探してたのねぇ」
真美はノートPCを閉じて立ち上がると、洗濯物を取り込むために二階へと上がった。
その夜。
会社から帰宅した夫に、真美はことの顛末を報告した。夫は真美の予想以上に憤慨してくれた。
「週5で8時間って、正社員じゃん。それでボーナスなしで非正規雇用だろ?どんな罰ゲームでその条件で働くんだよなあ?」
真美は我が意を得たりと満足そうに微笑む。今日は夫のためにビールを用意してあげよう、と冷蔵庫に向かう。
「なあ、お前さあ、やっぱり正社員探した方がいいんじゃない?」
「…。お風呂入ってくるね」
真美はくるりと向きを変えて、風呂場へと歩き出す。週5で8時間労働プラス家事と子育ての罰ゲームから、やっと降りようとしているのに。夫はやはり何も分かっていないようだ。
「あなたもちょうどいい働き方を押し付けてくるのね。ふん、別にいいけど」
真美は呟くと、洗面所の棚からちょっといい入浴剤を取り出した。
「今日は疲れたから、これ使っちゃおっと!」
アロマのいい香りがお湯に溶けていった。
#いい働き方ってなんだろう
