吃音(きつおん)の当事者であるコトを書くつもりはなかった
noteを始めたのは、銀色夏生さんのつれづれノートのように 毎日の出来事を 日記のように書いたら、備忘録兼アウトプットになりそう、、、
そんな動機からだった。
だからそもそも、吃音(きつおん)のコトを
書くつもりなど 全くなかった。
なのに、ブックオフで 目に入ってしまった
近藤 雄生 著の「吃音(きつおん)」を
吸い寄せられるように 買ってしまい、
読んでしまった。
ソコに登場する人々は、過去の私であり
今の私だった。
そして今なお 100万人以上の人が
原因もわからず、確固たる治療法もないままに
悩み苦しんでいるコトを知った。
ソレを知った時、
左利きと吃音(きつおん)であるコトを恥じて、
シぬコトばかりを考えていた 小学校低学年の私に 戻らなければならないような気がした。
気がつくと、当初計画していた日記を書くよりも
吃音(きつおん)の当事者であることを、
書いている自分がいた。
どもってしまい話すコトが恐かった分、
紙に"書くこと"は、小さい頃からしてきた。
それは、私の気持ちを表現する唯一の方法
だった。
やがて 紙にペンで"書くこと"から、
キーボードを打って"書くこと"をするように
なったのは、2011年3月12日から。
あの東日本大震災の翌日からだった。
私が生まれたのは、岩手県の三陸海岸沿いの町。
もう既に実家も 祖父母の家も 空き家になっていた。
けれど、沢山の親戚と同級生が暮らしている。
安否確認をしたくても 電話が繋がらない上
テレビでは、津波の様子や被害の拡大情報が
繰り返し流れ、 恐くて不安でたまらなかった。
そんな状況の中、
私に出来ることは やっぱり "書くこと"しか
なかった。
だから、不安な気持ちを少しでも静める為に
Yahoo!ブログを始めた。
その後も、時々休んだりしながらも "書くこと"は
続けていた。
Yahoo!ブログから、Facebookに移動したり、
Facebookから、アメブロに引っ越したりしながら
その時々でテーマを変えながら 細々と書いていた。
それが突然 去年の5月に書けなくなった。。。
書きたいのに、書くことがない。。。
。。。こんなコトは 初めてで、かなり戸惑った。
私から、"書くこと"が無くなってしまったら
私の出来ることが、無くなってしまう。。。
とさえ思った。
しばらくジタバタしたけれど、それでも 書けなかった。だから、もう素直に 諦めて 降参した。
あんなに拘っていた"書くこと"を放り出し、
書けなくなってもいいと決めた。
もっと私に合う他のコトが 見つかるだろうからと、ほのかな期待もあった。
…それから 一年近く経った頃、
何だか また書けそうな気がした。
そこで、心機一転♪
アメブロからnoteに引っ越した。
noteに移る前のテーマは、
両親との不仲
自死願望
もと夫のDVとモラハラ
流産
借金
うつ病
離婚
いじめ
不登校等…だった。
これらは、私の黒歴史であると同時に
人生のテーマだと思っていた。
でも、吃音(きつおん)のことを 書き始めてから
人生のテーマだと思っていたこれらのコトが、
ただの表面的なテーマだったと気づいた。
私の存在自体を揺るがしてしまう程の
大きく深いテーマは、別にあった。
そのテーマこそが、
左利きと吃音(きつおん)の当事者であること
だったのだ。
これらは長い間、
意識の奥底にしまい込まれていて 気がつかな
かった。
いや、気づきたくなかったから
見たくなかったから、
向き合いたくなかったから、、、
、、、無かったコトにしたくて、
私がしまい込んだのだ。
この15年間は、人生のテーマだと思い込んでいたコトを 書いて書いて書いてきた。
そしてある日 書けなくなった。
書けなくなった その空いた余白に、
意識の奥底にしまい込んでいた
左利きと吃音(きつおん)のことが、
浮かび上がってきたのかも知れない。
小学生の私が、小さい声で呟くのだ。
本当のテーマは、こっちだよ。
小学生の私を もう一度見て。そして感じて…と。
書いていると、当時のことが ありありと映像として見えてくる。
まるで、今の私が観客として 小学生の私の映画を見ているかのように。
それは、小学生の私と一緒に、同じ場面を共有し
同じ気持ちを追体験しているかのようだった。
またそれは、意識の奥底にしまい込まれた
暗くじめじめと湿気を帯びた 小学生の私自身に
私の意識の光が当たり、物語の主人公として
動き出した瞬間でもあった。
おそらく、左利きと吃音(きつおん)のことは
小学生の私にとって、最大の恥部(ちぶ)であり
隠し通さなければ命に関わるほどの 重大な秘密
だったに違いない。
noteに吃音(きつおん)のことを 書けば書くほど
光が当たり、私と小学生の私の間に 隠し事がなくなった。
それは、私が、私自身に そして、私自身が私に
嘘をつく必要が無くなったコトでもあった。
それは、今までずっと2つに分かれていたモノが ゆっくり溶け合い ひとつになった感じだった。
私自身、気持ちが更に軽くなり
より静かで 深い落ち着きを感じられるように
なった。
吃音(きつおん)について、あと数記事ほどで
終わる予定だけれど もしかしたら、
書いているうちに 小学生の私が もっと目覚めて
くるかも知れない。
それはそれとして、
これからも 流れに委ねて書いていこう。
