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【学校の復興記録】その2 〜約2週間

○避難所は、中学校の体育館

地域の人々や近くで被災した人が避難していた

お世話になっている間は、住居スペースつくりや支援物資の配給の手伝い等をした

学区なので卒業生の家族が多く、自然にできた【自治会】の一員となった

朝のラジオ体操、夜の自警団、朝夕の体育館ギャラリーのカーテン開け閉め

担当に任命される 笑

○いつもと同じ出勤時間に、下にある小学校へ(避難所から徒歩で5分)

○市内在住の被災していない先生方も出勤

○学校再開の指示がないので、先ずは校地内外の片づけ

校舎周りの動線を確保するために、流れてきた車、家の屋根、

1階から流れ出た備品等の瓦礫を、校庭脇の瓦礫溜まりに移動させた

◯瓦礫撤去の際の傷は、破傷風の危険があるので、擦過傷でも注意が必要だった

○車は、移動させるためにガラスを破ったり、ドアをこじ開けたりして、

マニュアル車は、サイドブレーキを外しギアをニュートラルにすれば押して動かせた

オートマ車は大変で、FR、FF、4WDで車輪を持ち上げながら押さなければなかった

さらに厄介だったのは、ハイブリッド車

ロックがかかった状態なので、重機に頼むしか無かった

○浸水した1階の汚泥は、スコップや雪かきの道具で集める

乾いてきたところには、バケツでプールの水をかけた

窓拭き用のスクレイパーが仕上げに役立った


ドブ臭が酷かった

○昼食は支援物資のパンやおにぎり、カップラーメン、

自宅から持参してきてくれたお弁当を食べた

震災2日後には、自衛隊のおかげで学校下の瓦礫が撤去され、

主要道路が通行可能となった


そのおかげで徒歩通勤だった先生たちが、自転車や車で通勤できるようになった

幸いなことに、私の軽トラが走行可能👍

生徒指導部の先生とペアで、自宅や避難所で生活している児童の様子を見てまわった

停電でパソコン、プリンターが使えないので、

避難時に持ち出した出席簿と児童名簿が役に立った

○自宅は分かるが、どこに避難所があるか把握出来ていないのが大変

2人とも勤務校年数が長いので、寝ぐせ、ヒゲ面、作業着姿でも

不審者に間違われることがなかった 笑

◯各避難所に、掲示板やメッセージボードがあるのでチェック

◯県立🏥へも行き、掲示板を確認

◯主要道路が開通するまで、高速道路の救急車専用路線を通らせてもらった

◯ガソリンスタンドへ行き、学校のネームホルダーを見せて

児童の避難確認をしていると伝えると、

「お互い、がんばっぺし!」

快く入れてくれて励まされた😭

◯避難所周りの途中、地元でイタ飯屋をやっている高校の悪友と偶然出会う、

避難所にミネストローネを作り届けるところだったらしい

「飲んでけ❗️

と言われた

心と身体に沁みる美味さだった

お互いの無事を喜び、復興に尽力することを誓い別れた

○アドレナリンが出ているせいか、1週間くらいは、

寝不足、肉体労働でも疲れを感じなかった

○支援物資の辛い🥵カップラーメンを1週間くらい食べていたら、

自然に鼻血🩸が止まらなくなった

◯全校児童の無事が確認

○ある程度片づけが済み、全校児童の把握ができたので

金曜日の夕方に、内陸に自宅がある先生3人で私の軽トラに乗って

(緊急事態なので超法規的処置で、荷台に私が乗車)一時帰宅

○妻の勤務地の方が壊滅的被害だったが、

家族は皆私の方が、がタヒんだと思っていたらしい 笑

○帰宅し泥のように眠り、翌朝避難所へ持っていく支援物資

(衣類、靴、本、漫画、ゲーム、文房具、カバン等、

役に立ちそうなモノ)をそろえて自家用車で出勤した

保護者や児童が、片づけの手伝いに来てくれた

自分たちが被災しているのに、

「先生の家や家族は、大丈夫?」

と言われるたびに😭

○体育館が支援物資の一時保管場所となったので、搬出入の手伝い

○年度末だが、非常事態のため転勤は更迭

○春休みなので、出勤できる先生で当番を決めた

○教育委員会、保護者、子ども、先生方の意見を聞き

【簡易的でも卒業式をおこなうことに決定】


○データは無事だったので、停電になっていない避難所の中学校職員室で、

卒業式や4月からの学校再開に向けた文書作成をおこなった

○3月31日「ズームイン朝」最終回の中継が、

避難所の中学校校庭から放送される

大温度計を持つ係として、出演 笑

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