なつかしい季節
新しい季節の到来はうれしい。春も秋もうれしいが、暑い夏や寒さ厳しい冬も、なければいいとは思わない。いくら過ごしやすくても、ずっと年中同じ気候だったら、それはちょっと耐えられないと思う。
「季節がめぐると、なぜ人間はうれしがるの?」とチコちゃんに聞かれても、なかなか明確には答えられなくて、きっとチコちゃんに叱られるハメになる。もしも私が聞かれたら、「新しい季節がなつかしいから」と答えることにしよう。
ちょっと理屈っぽくなるが、人の気持ちを喜ばせるのは、新しいもの、珍しいもの、未知なるものと出会ってワクワクする思いと、既知のもの、なじみのあるものと出会ってホッとしたり安らいだりする気分との、二つの要素があるように思う。前者を「新奇性」、後者を「親和性」とでも名付けようか。
旅行をして楽しいのは、その二つをふんだんに味わえるからだ。特に海外旅行では、初めて目にする珍しい景色や風習に新奇性を感じるのが何よりの魅力だが、それでも、食堂で「おいしいよ」と言えば店員さんがうれしそうに笑顔を返してくれたり、狭い庭に花を植えて楽しんでいる家を見かけたりすると、「ああ、国は違っても一緒だなあ」と感じることが多い。「一緒だなあ」と「違うなあ」がたっぷり感じられるのが、きっと旅をする喜びなのだと思う。もしもそれが国内旅行であれば、新奇性よりも親和性の比重がより高まるのかもしれない。
季節が巡ってきてうれしいのは、昨日まで気づかなかった梅が今朝一輪咲いたとか、秋になって朝晩が涼しくなったとか、これまでと違ってきたという驚き、すなわち新奇性の要素もあるにせよ、またこの季節がやってきた、という親和性が大きいように思う。何度も繰り返してよく知っているこの季節がまたやってきたよ、というなつかしさを、人は覚えるのではないだろうか。そう考えると、子どもや若い人よりも、季節の繰り返しをより多く経験している年代のほうが、季節の移り変わりに敏感なのもうなずける。
逆に言うと、人は若い時ほど新奇なものへの関心は旺盛だ。赤ちゃんは好奇心の塊で、何でも手に取ったり口に入れたりして確かめる。「はいはいをしていて、小さな塵を目ざとく見つけて愛らしい指でつまんで大人に見せたりするしぐさがかわいい」と、1000年以上も前の「枕草子」に書かれているのはご承知のとおりである。
近年の「昭和レトロ」を面白がる風潮は、なぜか年配者だけのものではない。むしろ若い人の中に意外に昭和レトロの愛好者がいると聞く。年配者はそこになつかしさを感じるけれど、若い人は自分の経験していないその時代に、珍しさや新鮮さを感じているのだろうか。
年代が上がるほどに、好みが珍しさからなじみ深さに、新奇性から親和性に移行していく、という大原則はあるようだ。私事でおこがましいが、10年前に出した年賀状に、東大寺二月堂への土塀沿いの参道の写真に添えて「年を重ねたせいだろう/新しいものより古いものが/ずっと好きになってきた」と私は記している。計算してみると、まだ50代の最後の年。私はどうやら老人としてはかなり「早熟」だったようである。
2022年6月22日
