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田舎が地元、ということ


明日からお盆休み。いわゆる夏休み。旅行に行く人もいるだろうし、家族でお墓参りに行く人も多いのだろう。どっちが多いのかな。

お盆になると、いつも以上に地元を思い出す。時間に余裕ができるのと、お盆は家族で過ごしていたことが多かったからだろうか。


でもそんな、家族で過ごすという習慣も段々と薄れている。
地元の北海道を離れ、京都に住んでいるのだから、ある意味当然かもしれない。

心理的にはそこまで離れた感がないけれど、物理的な距離はどうしてもある。


今年は子供が産まれたこともあり、帰らないことを選んだ。気軽に帰れない距離なんだと、やはり実感する。

その事実が少し寂しいような気もするし、別に平気な気もする。このどっちつかずな感情が、度々湧いてくる。僕は地元が本当に好きなんだろうか。


学生の頃は、地元という景色に

「飽きた」

というある一種後ろ向きな感情を持っていた。新しい景色を見たくて、刺激を求めて飛び立った。

地元はスタバがないくらい、本当に田舎だった。
そこから離れて違う場所に住めたこと、新しい出会いがあったこと、色んな初めてを体験したこと、全てが楽しく思えた。


今でも楽しいという感情は得続けているし、地元を離れたことに特に後悔もないけれど、もし地元に住み続けていたらどんな人生だったのか、という無意味な思考を巡らせている。

もう会っていない地元のアイツらとは、もっと親密な関係になっていただろうか。
家族仲はいったいどうなっていたのだろうか。ちょっとうざがったりしているのかな。


結婚してからは、地元に帰っても家族にしか会わなくなった。
友人とは何年も会っていない。たまにインスタで生存確認をする程度。
友人も結婚していたり、子供が産まれていたり。
それらを見ると、「ああ、僕らは結構大人になったんだな」と感じる。

でも僕が大人になるにつれて、家族も当然老いていく。最近は体力が無くなったと、祖父母が特に言ってくる。


当たり前だけれど、いつか家族の中で、自分が一番年上になる瞬間はやってくる。
地元に家族が居なくなっても、それでも自分は足を運ぶだろうか。


こんなことを考えていると、家族と過ごせる残りの時間、もっと言うと会える回数は意外と短いことに気付く。

そんなこともあって、少し前までは地元に帰って、家族と一緒に暮らすのもありかな、そんなことも思っていた。

けれど家も買って、他のことでも身重になって、だんだんその気持ちも薄れている。


きっと僕は、もう地元に住むことはないんだろう。

いつかはあの懐かしい景色も、匂いも、思い出しにくくなっていくのかもしれない。


それでもこの夏休みになると、きっと一度は思い出す。


段々と薄まるけれど、確かな存在感を放つ自分の故郷を。



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