達成感を捉えてみる
あなたは、何かに達成感を感じたことはありますか?
それはどんな瞬間でしたか?
私は複数の部門と連携して進めたオフィスリノベーションが完成したときや、大学の頃に何日もかけて行った実験で成果が出たときに、達成感を感じた記憶があります。
残念ながら今の新規事業開発ではまだ成果が出ていないので、達成感は味わえていません。はやく味わいたいところ。
そんなことはさておき、達成感ってそんなに頻繁に味わえるものではないと思うんですよね。それこそ苦労したこととか、時間をかけた結果として出るアウトプットでなければ、達成感を味わうのは難しいように思うのです。
これはなんでかな〜というのを少し考えてみたのですが、2つ仮説を思い付きました。
1つ目は、
達成感の度合いは、物理的 or 精神的に消費したエネルギーに比例する
つまりこれは、アウトプットの大きさや質ではなく、かけた時間や労力によって達成感が決まるということです。
もう少し具体的に言うと、
1.周囲から見るとすごいアウトプットでも、あなたのかけた労力が少なかったもの
2.周囲から見ると大したアウトプットではないのに、あなたのかけた労力が大きかったもの
この2つを比較すると、おそらく2の方が達成感を感じる、そんな経験はあなたにもあるのではないでしょうか。
つまり達成感とは、本来周囲の評価はあまり関係なく、極めて主体的な感覚で決まるということになりますね。
何が言いたいかと言うと、達成感を味わいたいなら、何かに時間と労力をかけてみるのがいいかもしれない、ってことです。
そこそこいると思うんですよ、
何かに熱中したいけどその対象が見つからなかったり、
達成感不足で、ある意味飢餓状態になっている人。
もしかすると、何かに時間と労力をかけていないから、その状況は生まれているかもしれません。
順序が本当は逆かもしれない、何かに取り組み始めることがきっかけになるかもしれないです。
そしてこの達成感について、もう1つ仮説があります。
それは、
この消費するエネルギーというのは自分の物だけに限らないのではないか、というものです。
例えばなんですが、
誰かに少し長めにアドバイスすることがあったとします。このアドバイスを終えたとき、あなたはどんな感情を抱きますかね?
おそらく、達成感にも似た、ある一種の充足感が生まれていると思います。相手のリアクションが良ければ良い程。
もちろん求められているアドバイスなら、全然OKと思います。
しかし、これって恐ろしい側面もあると思っていて、相手の時間や体力を消費しているんですよね。そしてきっと、それらを大きく消費した方が、達成感はより強くなる。
無駄に達成感がある分、この行為はきっとアドレナリンが出て、中毒性があるだろう、とも思います。
つまり求められていないアドバイスをしてしまうと、単に相手から時間と体力を奪っているだけなのに、アドレナリンで気持ちよくなってしまう、ということですね。これはヤバい…
この記事を書きながら、自分も気を付けよう、最近してないよね?、と内省する羽目になりました。まじ気を付けよ…
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