見出し画像

高校時代の古典の授業ほんと良くなかった

私たちのとき、わたしは大垣東高校四期生です。新設高校だったのですが
入学して最初の授業のとき
古典の野田先生は
授業でやるところの古文を教科書から
大学ノートに一行おきにうつすこと。 それを品詞分解し活用などを書くこと。毎回課題としてました。
古典だけではないんだよね。授業や受験科目。さらにアクセル全開にするしかないとおもってたら
いきなり障害が現れた
古典の野田
どれだけ時間とられるとおもってるんだ!
東大文Ⅰを目指していたので
やはりとんでもない高校に振り分けられたなと焦りましたね
いまならそんなことできるはずないので無視します、まず、鼻からやらないです。当時の私はとても真面目ですから仕方なく
虎の巻というのですかね
買いましたね
野田先生は日教組
眼鏡をかけた細身で運動靴をはいてた。なんか苦い思い出、砂を噛むというか。彼にはわからなかったんだろうね
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
古典は高校時代は散々な目にあったが
いまもすきですしよく引用します
竹のことは竹にならへ
松のことは松にならへ(三冊子)
あのときの角川の教科書にあった
俳論が一番好きだな
岩鼻やここにもひとり月の客

燕雀いずくんぞ
鴻鵠のこころざしを
知らんや

出典
史記(しき)・陳渉世家(ちんしょうせいか)

意味
つまらない人物には大人物の遠大な志はわからないということ。「燕雀(えんじゃく)」は、「つばめ」と「すずめ」。「鴻鵠(こうこく)」は、「おおとり」と「くぐい」という大きな鳥。小さな鳥にどうして大きな鳥の心がわかるだろうかという意味。

原文
陳渉少時嘗与レ人庸耕。輟レ耕之二壟上一、悵恨久レ之曰、苟富貴無二相忘一。庸者笑而応曰、若為二庸耕一。何富貴也。陳渉太息曰、嗟乎、燕雀安知二鴻鵠之志一哉。
〔陳渉(ちんしょう)少(わか)き時、嘗(かつ)て人の与(ため)に傭耕(ようこう)す。耕を輟(や)めて壟上(ろうじょう)に之(ゆ)き、悵恨(ちょうこん)することこれを久しうして曰(いわ)く、苟(いやし)くも富貴(ふうき)とならば相忘るること無けん、と。庸者(ようしゃ)笑いて応(こた)えて曰く、若(なんじ)庸耕を為(な)す。何ぞ富貴ならんや、と。陳渉太息して曰く、嗟乎(ああ)、燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや、と。〕

訳文
(秦(しん)が中国を支配したとき、陽城(ようじょう)《=河南(かなん)省》に)陳渉(ちんしょう)という男がいた。小作人として働いていたが、耕作の手を休めて畔(あぜ)に行き、身の上を嘆くことしばらくして言った。「もし自分が偉くなったらお前たちのことを忘れずにいてやろう。」すると仲間たちは、笑って答えた。「お前さんは人に雇われて耕している。なんで富貴を望めようか。」陳渉はため息をついて言った。「ああ、燕(つばめ)や雀(すずめ)のような小鳥に、どうして鴻(おおとり)や鵠(くぐい)のような大きな鳥の気持ちがわかるだろうか。」

いいなと思ったら応援しよう!