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ゆる~く古典の話⑭ 桓公と管仲

今回は前回の続きになります

桓公に仕える事になった管仲は
桓公に国の予算の使い途を自由に決める権利と
君主の親族にも命令出来る立場を求め
桓公もそれを承認しました
管仲は
国を富ませる事に専念します
まずは塩と鉄を国の専売制にし
その利益を国の物としました
農業を振興すると同時に特産品の開発にも努めます
商業を振興し、貨幣経済を強め
穀物の価格安定するようにしました
※米が豊作の時には買い上げ、凶作の時には放出する事により価格を安定させました

国を富ませて民の生活を安定させ
その税により軍事力を高める政策をすすめました

…ある時管仲に忠告する人が居ました
「古来より君主の仁徳で国を治める事が素晴らしい政治とされています
民も君主の人徳で礼節を知るのではありませんか?
貴方がしているのはそれとは真逆の
上中下の下の政治ではありませんか?」と
管仲は答えます
「衣食住が安定してない者に礼節を教えても何の意味もない
人は収入が安定して初めて礼節を知り
栄誉と恥を知るのですよ」と
※倉廩実則知礼節、衣食足則知栄辱

管仲からすると「仁徳なんかは何の腹の足しにもならない!無意味な理想論ばかり振りかざすんじゃ無いよ!」
って事でしょうね


…………
「是非生まれ変わって日本の総理大臣になって欲しい!」…筆者の心の声ですm(_ _)m

………

管仲の政治で斉の国は富み、軍事力も強大になりました…
その後の桓公


燕の国に救援も求められ桓公自ら援軍に向かいます
この時、燕の君主は桓公に感謝し見送りでずっと付いてきてました
気付いた時には斉の国内
…諸侯同士の見送りは国境までと当時の決まりで定められておりました
国境を越えての見送りを許されているのは天子のみです
管仲は桓公に進言してその燕の君主が見送りで付いて来た場所を国境と定めます
…燕の君主はその差配に感激してしまいます

魯の国と戦争になった時には斉は大いに勝利を収め
魯の領土の一部を斉が奪う形で和議を結ぶ事になりました
その和議の会談の時に魯の家臣の1人が
桓公の首元に刃を当てて
魯の領土を元のままで和議を結ぶ様に要求し
桓公もそれを受け入れました
その家臣が離れた後、桓公は脅されてした約束等は無効だ!と怒りますが
管仲は「如何なる状況下での約束でも約束は約束守らないといけません」
と要求された通りの条件での和睦を結びます

諸侯は諸侯同士の諸問題や紛争等を桓公に仲裁して貰ったり解決して貰う様になりました

周王朝や諸侯の脅威となりつつあった楚を討ち

諸侯の会盟を経て
桓公は最初の覇者となったのでした
覇者は周王の代理の様な立場です

…斉の発展の為、桓公の為に力を尽くしてきた管仲にも
最期の時が近付きます
管仲は桓公にある3名の名前を挙げて
その3名は決して重用してはならないと言い残します
その3名は桓公のお気に入りの家臣でした

管仲の死後、桓公は管仲より決して重用してはならないと言われた3名(※まとめて三貴と呼ばれる)に国政を任せ、自らは放蕩に明けくれました

桓公が病床に就いた後は三貴に幽閉され
まともに食事も与えられずに餓死したとも言われています
死後の子供達による後継者争いの間もその遺体は放置され、その部屋の扉から蛆が飛び出してきたと伝えられます…


今回のお話はここまでです
管仲は流石に三国志の諸葛亮孔明が憧れた人ではありますね~(管子)とも呼ばれます
管仲は他にも名言や逸話があるので
興味を持たれたら深掘りしてみて下さいね

…桓公は覇者と呼ばれるまでになった人とは思えない末路でしたね
皆様はどう思われたでしょうか?

また次回もお付き合い頂ければ幸いです