短編小説『コンビニ奇譚』
「なるほど、この気配は確かに居ますね……わかりました。除霊をしてみましょう」
「お願いします」
「うん……?今、何か聞こえました?」
「あー……大丈夫そうです」
雨上がりの深夜、高速道路の下をくぐるように通っている国道。くぐった先の十字路を左に折れた1車線ほどの細い道。そこに、工事中の錆びた看板が立てかけてられている。上の高速道路を走る車のライトと、オレンジの街灯が濡れた路面と私たちを照らしていた。
「そういえばお供え物、何かありますか?」
「え?お供え……? そんなの持ってきてないですよ」
「それは困りましたねえ、お供え物が無いと除霊が出来ない」
「そう言われましても……」
その背後を、一台の自転車がゆっくりと通った。
国道沿いの市街地にそのコンビニはあった。
周りには田んぼと山ばかり。最寄りの駅まで車で20分だが、近くにはレンズの大きな工場が一つと、トラックなどが通る大きなバイパスに、高速道路が通っている。住宅もほとんどないそのコンビニは、夜になると本当に人通りも無いので、深夜11時には閉店する。
そこで働く店長の佐藤は地元生まれで、10年以上この店を守ってきた。パートの山田さんは近所の農家の奥さんで、昼は畑を手伝い、夕方から夜のシフトに入る。
——ある蒸し暑い夜、閉店間際の時間帯だった。
缶コーヒーを買いに来た男性客。スーツ姿のサラリーマンで、工場勤務か営業か、疲れた顔をしていた。
「お会計、160円になります」
男性は小銭を置いて、缶コーヒーを受け取った。
大学生男子バイトの田中が「ありがとうございました」と眼鏡越しに男を見送ると、車のテールランプの赤い光が、すぐに夜の闇に飲み込まれていった。
最近、深夜帯の売上が右肩下がりだった。
日中は農家の人や主婦、工場の人が弁当などを買い求めに寄ってくれるので横ばいを保っていたが、20時を過ぎると客足がぴたりと止まる。
店長の佐藤は売上データをプリントアウトしてため息をついていた。昨夜の深夜シフトに入っていた田中が、閉店作業をしながら言った言葉が頭に残っていた。
「店長、最近……深夜に車で来るお客さん、ほんとに減りましたね。昔はトラックのおじさんとか、工場夜勤明けの人が駐車場に停めて、弁当とコーヒー買ってくれたりしたのに。今は駐車場、ほとんど空っぽですよ。来ても自転車か歩きの人がちらほら」
佐藤は窓の外を見た。街灯に照らされた広い駐車場には、車は一台も居ない。夕方のシフト交代で山田さんが来たタイミングで、佐藤はすぐに声をかけた。
「山田さん、ちょっと聞いてくれる? 田中くんが言うには、深夜の車で来る客が激減してるんだってさ。この地方じゃ車が生命線なのに、なんで減ったのかな」
山田はエプロンをつけながら、背伸びして駐車場に目を向けた。
「ああ、確かに……私も感じてました。この辺、車がないとどこにも行けないのにねえ。工場の人たち、シフトが変わったのかな? それとも、隣町にできたあの24時間スーパーのせいだとか?」
ああ、あれね……と佐藤は地図アプリで距離を確認した。
「でも隣町のスーパーまで車で20分はかかるよな。この町からわざわざ行く人は少ないと思うんだ。商圏だってほとんど重なってない。ほかに新しいコンビニが出来たって話も聞かないし……」
「じゃあ、なんででしょうね……」山田さんも首を傾げた。
「ガソリンが高くなったって言っても、ここいらは昔から高いのは変わらないし……物価高の影響なのかなあ」佐藤がぶつぶつ話すも、やはり原因がわからない。数字だけが冷たく下がり続けている事実に、佐藤は頭を抱えた。
「わからんなあ……本当にわからん。生活リズムが変わったって言われちゃったら、こっちとしてはどうしようもないしなあ」
「でも店長、だからこそ、こっちからお店に来る理由を作ってあげないと。この店が、夜遅くても『ちょっと寄りたい』って思える場所になればいいんですよ」
「おお!さすが山田さん、良いこと言うね。そうだなあ、諦めるのはまだ早いか。原因がわからなくても、打てる手はまだある」
——その日、シフトを終えた大学生の田中は、レジで温めたおにぎりとホットのお茶をビニール袋に入れ、リュックに突っ込んだ。
外に出るとさっきまでの雨は上がっていた。
「良かったあ、これなら自転車で帰れるわ」
学生アパートまで4キロの道を自転車で帰ることにした。周りに何もない国道は街灯もまばらで、田んぼのあいだを走る道なんてほんとに真っ暗だった。
スピードに乗った自転車が高速道路の下をくぐってすぐに、十字路に出る。そこで颯爽と左にハンドルを切ったところで、路面が濡れていたことと、スピードもそれなりにあったため、タイヤがズルリと滑った。
「あっ……!」
派手な音と共に前輪が横に滑り、バランスを崩した自転車ごと、田中は路面に叩きつけられた。肘と膝を打ち、息が詰まる。
「痛ってえ……!」
肘を押さえながら、田中は暗闇に向かってぼやいた。折れたりはしていないようだったので、田中はゆっくりと立ち上がると、落ちていたメガネとリュックを拾い、自転車を起こした。メガネも割れておらず、むしろ倒れたところに車が通らなかったのが、不幸中の幸いだった。
「何だよもう……」
痛む肘をさすりながら、サドルにまたがると慎重にペダルを漕ぎ始めた。スピードは出さずにゆっくりと。一瞬、何か聞こえた気がするが、濡れた路面とタイヤの摩擦音にかき消された。
アパートに着いたのは11時30分を少し過ぎたあたりだった。ワンルームの部屋の灯りを点けて、鞄を開けておにぎりとお茶を取り出そうとして、田中は凍りついた。
「あ……」
ファスナーが半開きになっていたのだ。おにぎりもお茶も、ない。
「うっわ、嘘だろ?あの時か……」
がっくりと肩を落とした。恐らく転んだ衝撃で鞄から飛び出したのだろう。あの暗い道のどこかに、コンビニのおにぎりとお茶が転がっているのを想像すると、悔やみきれなかった。
「あれ?そういえばあの時、何か聞こえた気が……」
最近、大学の友人の間で噂になっていることを思い出した。さっき転んだあの辺り、高速道路の下をくぐった工事中の看板。
あのあたりで幽霊を見たという話。
スマホで少し検索するとすぐに記事が出てきた。夜な夜な工事現場に出て警備棒を振る、頭のない幽霊の話。その道を通って、幽霊を直に見てしまった人も結構いたらしく、『ちょ、そこ帰り道だったんだけど』『こっわ、今度から迂回して帰るわ』といった書き込みも多数見られた。
「さっき転んだあそこじゃないか……」
田中はゾッとした。転んで濡れていたこともあって、さらに背筋が冷えた。思い出すと、肘もじんじんと痛み出してきた。見ると擦りむいていた。絆創膏あったかな……田中は、ぼやきながら棚を探しだした。
——それから1ヶ月が過ぎた頃。
佐藤店長はレジ裏で売上データを確認していた。画面に表示されたグラフを見て、思わず目をこすった。
「山田さん、ちょっと来て」
「どうしました?」
商品補充をしていた山田が手を止めて事務所に駆け寄った。佐藤はモニターを指さして話し出した。
「見てよ。深夜帯の売上……ほらここ、上がってるんだ。1週間前からじわじわと、でも確実に」
「あら、本当……先月はあんなに落ち込んでたのに。20時以降の数字が、前みたいに戻ってる……」
山田も画面を覗き込んで、数字に目を丸くした。シフトに入ってきた大学生の田中も呼ばれ、同じようにグラフを見せられた。
「あ……マジっすか? でも特に変わったこととかしてないっすけど……客、増えたんすね」
「いや、まだ増えたってほどじゃないんだけど、確実に車が停まるようになってきてるんだよ。深夜帯にトラックが1台、2台と駐車場に停まって、運転手さんが弁当とお茶買ってくれてるだろ? 工場帰りの人も、以前よりちょっと遅い時間に寄ってくれるようになってる」
画面を見ながら山田が不思議そうに言った。
「本部からのキャンペーンも看板も、結局予算がなくて先送りにしたままなのに……どういうこと?」三人とも黙ってしまった。
特にこれといった打開策はしていなかった。商品の配置を少し変えたくらいで、値引きも宣伝もなし。日常の業務を淡々とこなしていただけだ。
それなのに、深夜の駐車場が少しずつ埋まり始めている。車で来る客が、静かに戻ってきているということだった。
外の国道を、時折トラックのライトが通り過ぎていく。深夜の駐車場に停まる車の台数は、日に日に少しずつ増えていった。コンビニの灯りは、変わらず静かな町を照らしている。
理由はわからないままだった。でも、客足は確かに戻ってきていた。
それはあの日、田中が転んで落としたおにぎりとお茶のおかげだということを、田中本人も、周りも知らない。
コンビニの店員らが困惑している中、ネットの首なし幽霊の記事への書き込みにも小さな変化があった。
『あそこの首なし幽霊、出るって言われて行ったけど、見なかった』
『俺も録画しようと思って行って待ってたけど結局出なかったんだよ』
『なに?デマ?』『ついこの前、何とかって霊媒師が除霊したらしい』
『マジかー』『それ見たかったw』
小さな地方のコンビニで、誰にも説明できない小さな異変の理由なんて、案外そんなものなのかもしれない——
