見出し画像

短編小説『終活ノート』

「私も70だからね、そろそろこういうのやっとこうと思って」
 母がそんなことを言い出した。いわゆる終活というやつだ。

「そんなのまだ早いんじゃない? 母さんまだどこも悪くないし、ピンピンしてるし」
「そうは言うけどね……史恵、人生何があるかわからないから……ほら、すぐそこに住んでた三上さんっているでしょ? あの人も私と同じくらいの歳でねえ、彼女もやってるわけよ、その終活ってやつ」

……流行りなのか、そんなの流行るもんなのかはさておき、母が意欲を見せているなら私には止める手立てもない。
「……わかった。そういえば終活ノートっていうの売ってるんだって。会社の近くに本屋さんあるから、今度買って来ようか?」
「あら、じゃあそれお願いね。ぽっくり逝くこともあるからね、いろいろやっとかなくちゃ」
「そんな縁起でもないこと言わないでよ。環希も今年成人式なんだからさ、孫の振袖姿見たいでしょ?」
 環希が七五三の時の写真が飾られているのを眺めながら話す。

「あら、環希ちゃん今年だっけ? あらあら、そのお祝いもしなくちゃね」
「環希も喜ぶと思うよ。あの子おばあちゃん子だから。お盆には一緒に来るから、またね」
 私は地元の高校を卒業後、家を出て都内で就職した。夫と結婚後、生まれた娘と三人で都内で暮らしている。実家には母が一人で住んでいる。父は定年後、すぐに他界した。だからこうして、たまに実家に様子を見に来ているのだ。母は母で、地元の友達と習い事やお出かけをしたりして、楽しく過ごしているようだった。

 その年のお盆に、夫と環希とで実家に遊びに行ったときには、すっかり終活は終えていたようだった。
「これでいつ逝っても大丈夫だわ」

「母さんたら、まーたそんな縁起でもないことを」
「そうですよ、お義母さん、まだまだ人生は長いんですから」
「おばあちゃん、また遊びに来るからねー」
 私たちは短い夏休みを実家で楽しく過ごした。

——それから10年が過ぎた。

 私は55になり、なんと環希には5歳になる息子の悠希ができていた。実家の母は80だが、はた目には70の頃とさほど変わらないように見えた。

 実家の庭に畑を作り、花や野菜を育て、お盆にはそれらを使った料理をかわいいひ孫、悠希のためにと、たくさん振る舞ってくれた。

 私と夫と、環希の夫と息子、そして母という三世代。この時代にしては大所帯だ。花火をしたり、バーベキューをやったりと、それは賑やかなお盆になった。その頃、私はすっかり母の終活のことなど忘れていた。

——それからさらに10年が過ぎた。

 私は65だが、パートで働きに出ていた。というのも、夫が病気で入院してしまったのだ。娘の環希も40になり、中学生になった悠希の思春期に夫共々てこずっているようだった。私は環希の中学時代の頃を懐かしく思いながら、奮闘をあたたかく見守った。

 そして実家の母は90になっていた。
 さすがに小さくなってきたが、それでもしゃんとしており、相変わらず庭いじりが楽しいらしい。採れた野菜を近くの産直施設に出しており、そこで同じような生産者たちと話したりするのが楽しいようだ。

——それから半年後、私の夫が亡くなった。

 人生のパートナー以上の存在だった彼の喪失は思った以上に大きく、私自身もそれで体を壊してしまった。母も私の夫を自分の息子のように思っていただけに、ひどく悲しんでいた。

 そしてその5年後、今度は環希が病気で亡くなった。享年45。

 まさか、私より娘が先に逝くだなんて……あまりに早すぎる娘の死を受け入れるのにはかなりの時間がかかった。当たり前だった母の存在の喪失という、あまりに大きな衝撃に放心状態だった息子の悠希も、父の実家がある九州で暮らすことになった。

……そして気づくと、私と母だけになってしまった。

 この頃、私も70を過ぎてようやく終活という言葉がよぎるようになってきていた。なんだ、母さんと同じじゃん……そう思いながら、あの日買った終活ノートのことを思い出していた。

 私も書こうかな……急に母の声が聞きたくなり、実家に電話をした。
「そうだねえ……史恵もそんな事考える歳になったかい」
「そりゃそうだよ、70だよ? あちこちガタが来ちゃっててさ……」
「ははは、そんな事言ってるうちはまだ大丈夫だよ」
 母はそう笑ってくれた。私は老眼鏡越しに終活ノートを書き始めた。


 それから3年が過ぎた朝。

 畑に出て産直施設に納品する花と野菜を収穫し、縁側に腰掛けた。麦茶のペットボトルを手に取った時、家の電話が鳴った。

「……もしもし、お母様ですか? 突然すみません、中央病院のものですが、昨夜、娘さんがお亡くなりになり……」

「史恵……」
それは、私の終活ノートを読むはずの身内が、いなくなった瞬間だった——