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短編小説『そこの底には』

「待ってください、まさかこの新築の……」
「そう。北条くん、隠すならそこだろう? その上に家が建ってしまえば、掘り返すことなど二度とないからな」
 三浦刑事は顎をさすりながら答えた。

 市街地にある、新築一戸建ての建設中現場。基礎工事がようやく終わったばかりだった。
「しかしご覧の通り基礎工事はもう終わっています。これを掘り返すとなると……」
「令状……それさえあれば何とかなるだろ。俺が上を説得してみる」
 それから三浦刑事は署に戻り、上層部を粘り強く説得した。

 事前の捜査で、夫のアリバイは極めて曖昧で、死亡推定時刻の前後に新築現場近くの防犯カメラに夫の車が映っていた。また、妻が死亡した場合に夫が受け取る高額の生命保険金や、夫の不倫疑惑も浮上していた。
 最初は首を縦に振らなかった上役たちも、これらの証拠を並べられ、渋々了承した。
「それだけ言うならいいだろう。だがいいか、三浦。絶対に失敗は許されない。そこまでやって、もし何も出てこなかった時は……わかるな?」
 縦社会の重い圧力をかけられたが、なんとか令状は下りた。

「良かったですね三浦さん、じゃあ明日やるんですね」
「ああ……そうだな。これだけ探しても妻の遺体が出てこないとなると、もうあそこしかありえないからな」
「ですね、どうか上手くいきますように」
 そう話しながら北条は夜空に向かって両手を合わせてみせた。

——翌朝、新築の工事現場に警察の作業車と鑑識車両が次々と入った。

 三浦は作業員と鑑識チームに指示を飛ばした。
「いいか! まずは重機で表層を慎重に剥ぎ取り、五十センチごとに層別して土砂をふるいにかける。金属探知機と死体探知犬も並行して使え! 絶対に見逃すな!」
 現場の作業員に活を入れる三浦刑事を、北条は頼もしく見つめた。

 一方、被疑者である夫の大平正樹の様子を伺うと、表情こそ変えなかったものの、心の中では激しく動揺していたように見えた。重機の音が響くたびに、徐々に深くなっていく穴から視線を逸らしていたのを北条は見逃さなかった。

「見てろよ、大平……」
 北条が奥歯を噛み締めながらそう呟いた。

 掘り返す重機の重低音と、土をふるう音が現場に重たく響き続け、鑑識官たちが土の塊を一つずつ確認し、臭気や変色をチェックする様子がその後、数時間ほど続いた。


「……どうです刑事さん? まだ掘り返しますか?」

 様子を眺めていた大平が口を開いた。
 朝から作業を続け、ついに日が暮れ始めたのだ。かなり深く掘り返したが、敷地内からはついに何も出てこなかった。

 作業していた捜査員の一人が三浦に耳打ちする。
「もし、本当にここに遺体を埋めたとするなら、さらにこれ以上深く掘ったってことですよね? そんな深い穴は人力では無理だと思われます」

「そうか……ご苦労様。みんなもこんな時間までお疲れ様!」
 三浦は掘られた大きな穴に下りて作業員たちにねぎらいの言葉をかけた。そして、上から穴を覗いていた被疑者である大平正樹に大声で告げた。

「大平さん!この度はたいへんご迷惑をおかけしました!」
 苦虫を噛みつぶしたような表情のまま、三浦刑事は白髪頭を深く下げた。

「これだけ盛大にやってくれて何も出なかったなんて、とんだお笑い草ですよ! この責任はしっかり取ってもらいますからね!」
 穴を見下ろしていた大平正樹がそう吐き捨てると、自身の黒いワンボックスで現場を立ち去っていった。

 作業員たちも肩を落として次々と引き上げ始めた。
「三浦さん……まさか、何も出てこないなんて」
 その様子を見ていた北条は三浦の傍で、唇を噛みしめて悔しそうにしていた。当の三浦刑事は泣き言ひとつ言わず、黙って敷地に大きく空いた穴から夕暮れの空を眺めていた——



——深夜三時。

 敷地に一台の車が静かに滑り込んできた。黒いワンボックスからブルーシートに包まれた大きめの荷物を下ろした男は、それを重そうに引きずりながら、昼間に空けた穴へと向かった。

 息を切らしながら、彼は穴にその荷物を放り込むと、今度はそれに向かってスコップで土をかけ始めた。ザッ……ザッ……というスコップの音だけが深夜の敷地に響いた。

 その瞬間、多数の眩しいライトがその男を照らした。男は驚いて穴の下から上を見上げると、どこからともなく声が聞こえた。

「こんばんは」
 穴に居た男は、声の聞こえた上のほうを見上げた。

「……おや、大平さんじゃないですか。こんな時間に、そんなところで何の作業をしてるんですか?」
見下ろしていたのは、静かな笑みを浮かべた三浦刑事だった。

「あ……えっ? これは……」
 しどろもどろになるその男こそ、大平正樹だった。

「絶対にやってくると踏んでいましたよ。これだけ大掛かりに掘り返した穴を、まさかもう一度調べることなんて絶対にない——あなたがそう考えるだろうと」

「え……? じゃあ今日の作業は……」

「ははは、言い方は悪いですが、あなたを陥れるための罠ですな。少々大掛かり過ぎましたが、これで言い逃れはできないはずです」
 三浦刑事は微笑みながら顎をさすった。大平正樹はさすがに観念したのか、首を振って深いため息をつくと、がっくりと肩を落とした。

 その顔には、疲労と深い諦めがはっきりと浮かんでいた。

「北条くん、彼をお連れして」「はい!」
 北条は穴に飛び降りるようにして大平正樹に駆け寄り、素早く両手を後ろに回して手錠をはめた。
「……動かないでください。大平正樹さん、あなたを妻殺害の容疑で逮捕します」

 大平正樹は抵抗する気力もなく、ただ穴の底で膝をついたまま、虚ろな目で星空を眺めていた。その視線に誘導されるように、三浦刑事も夜空を見上げた。
「そうか、今日は七夕だったか……北条くんの願いが叶ったのかな」