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短編小説『247番目の鍵』

 文学フリマというイベントの帰り道。紙袋には、人でごった返していた会場で購入したたくさんの冊子が詰まっている。そして、僕はここから夕食を取って映画を見ようと思っていたのだが、さすがに紙の本はズシリと重かった。

 ふと、地下鉄の駅の鍵式のコインロッカーが目に入った。これ……一旦預けるか。空いているコインロッカーを探し始めたその時だった。

「ねえ……」
 僕を呼ぶような声が聞こえた。

「えっ?」
 その声に思わずキョロキョロするも、それらしい人物は見当たらなかった。よその人の話をうっかり聞き違えたのかと、改めて空きロッカーを探すと、端っこの方にひとつ空いていた。

 僕はそこに紙袋を預けるとスマホを開き、近所のグルメ情報を検索した。どうせ一人だし、ファーストフードでいいやと画面をスワイプしていると、「ねえ……」また声が聞こえた。

 今度はわりとはっきりとした女性の声だった。やっぱり呼ばれている……? そう思いながら周りを見渡しても、通り過ぎていく人々ばかりで、僕を呼んでいそうな女性はいない。

「誰か……」
 唐突に聞こえたその声は、目の前のロッカーからだった。

「えっ……? この中から声が?」
 僕は思わず後ずさりした。銀色の扉は無機質に光り、番号札の「247」がぼんやりと浮かんでいる。鍵が刺さったままで誰もいないはずだった。

「助けて……お願い……」
 その声は確かにロッカーの中から響いていた。息苦しそうで、でも必死さが伝わってくる。僕は周囲をもう一度確認した。駅の利用客は皆、急ぎ足で自分の世界に閉じこもっている。誰もこちらを見ていない。指が震えた。

 馬鹿げている。幽霊?それとも配信者とかのドッキリ企画?

 迷ったが、好奇心が恐怖を上回った。というのも文学フリマで買ったばかりの本が『閉ざされた箱の物語』というインディーズの短編集。その表紙に描かれていたのは、まさに鍵のかかったロッカーだったのだ。

 同じシチュエーションじゃないか……そんなバカな。そう思いながらもぼくはその扉を開いた——


「えっ……」
 空っぽだろうと思っていたロッカーの中に、フィギュアサイズの女の子がいた。小さく縮こまって膝を抱えている。白いワンピースのような服を着て、艶のある長い黒髪が肩に落ちている。目が合うと、彼女はほっとしたように息を吐いた。

「やっと……気づいてくれた」
「え、待って、なんでロッカーの中に?っていうかキミ小さくない?」
 僕は思わず声が裏返っていた。

 彼女は確かにそこにいて、ちょこんと座っているように見えた。
「それより時間がないの。聞いて……私はこのロッカーに『閉じ込められた』本の登場人物なの。作者が物語を完成させずに放置したから、世界の隙間に落ちてしまった。文学フリマで売られてた、あの薄い本……覚えてる?」

 僕は背筋が凍った。さっき買った一冊。タイトルは『247番目の鍵』。表紙に描かれたロッカーの番号が、まさに今開けている247だった。

「これを書いた作者は途中で筆を折った。私をここに閉じ込めたまま、続きを書かなかった。だから私は永遠にこの箱の中にいるはずだった。でも、あなたがその本を買ってくれた。おかげで、少しだけ外の世界が見えるようになった……」彼女の目が少し潤んでいる。切実ながらも、どこか希望に満ちているまなざし。

「……お願い。私の物語を、終わらせて」
「そう言われても……」
 僕は戸惑いながらも紙袋からその本を取り出した。薄い、三十ページほどの冊子。最後は中途半端に切れていて、主人公の少女がロッカーに閉じ込められるシーンで終わっている。

「ここからどうやって……?」
「あなたが想像して。本の続きを。どんな結末でもいい。そして私をここから出して」その切実な声に周囲の喧騒が遠のいていく気がした。

 僕はスマホをしまい、近くのベンチに腰を下ろした。本を開き、ペンを取り出す。文学フリマで買った原稿用紙のノートも一緒に。

 指が動く。少女は冷たいロッカーから出て、まだ見ぬ外の世界へと希望を持って飛び出す。終わったかに思えた物語はまだ始まったばかりなのだ。
そんなストーリーラインを描いた。

 言葉を選びながら書き進め、ふと顔を上げると——ロッカーの中は空っぽになっていた。

「あれ……?」
 そこで初めて人の気配に気づく。彼女がすぐ隣のベンチに座っていた。同じくらいの慎重になって、ちゃんと実体があった。笑顔にも温かみがあった。彼女は恥ずかしそうに微笑んでみせた。

「ありがとう……やっと、外の空気が吸えたよ」

 僕の紙袋はまだ重たかった。でも今は、その重さが少し愛おしい。

「外に出た記念に、一緒に夕飯、どう?」
 僕の提案に彼女はこくりと頷いてくれた。文学フリマの帰り道は、予想外の続きを書くための、最高のプロローグになったのだ——


「ねえ……誰か、聞いてる?」

「……え? ああ、はい」
 文学フリマの影響でファンタジーな妄想が膨らみまくっていた僕は、その声で一気に現実に引き戻された。僕は少し迷ったが、コインロッカーの扉を開けた。そして中は空っぽのはずだった。

——が、そこに銀色の小型の機械が一台、置かれていた。

「これ……IP無線機?」
 前に短期のバイトで使ったことを思い出した。イベントスタッフ同士が連絡用に使う業務用の無線機だ。電源はまだ入っていて、緑色のランプが弱く点滅している。

「ねえ……誰か……聞こえてる?」

「え? ああ、はい!ロッカーの中にIP無線機を見つけたけど……そこから喋ってるってこと?」
「あ……やっと届いた……、よかった……誰かはわからないけど、お願い、すぐに警察を呼んで欲しいの」
その声は震え、息が荒い。

「警察?」
「監禁……っていうの? 今から場所を言うからそのまま……お願い!」
 僕は言われるがままにメモを取った。彼女は途切れ途切れになりながらも、はっきりとした場所を告げてくる。それはどうやら文学フリマの会場近くの、関係者用バックヤードらしい。

「私はイベントスタッフとして働いていたの。……そしたら仕事中に、元彼が会場に押し掛けてきて……逃げながらこの無線機をロッカーに隠したの。もう一台、隠し持っていたほうで……助けを呼ぼうと思って……よかった」
声が嗚咽に変わる。

「もう五時間以上、あの男に捕まってる……怖くて……電池ももう保たない……お願い、早く……」

「わかった!すぐ連絡するから!」
 僕は震える指で110番に電話した。状況を説明し、ロッカーの番号と無線機の声をそのまま警察に聞かせる。通報が受理され、パトカーが向かうという返事をもらった瞬間、無線機の向こうで彼女が小さく泣き声を漏らした。

「ありがとう……本当に、ありがとう……」
 僕はロッカーの扉を閉めないまま、その場にしゃがみ込んでいた。足元のズシリと重い紙袋が、急に現実の重さを取り戻す。

——二十分後、制服の警察官が数名、息を切らして駆けつけてきた。彼らはIP無線機を証拠品として確保し、僕の通報内容を確認した。

 そしてその夜、ニュース速報が流れた。

 文学フリマ会場で起きた元交際相手による監禁事件。二十五歳の女性イベントスタッフが、業務用IP無線機を使って助けを求め、無事保護されたと報じられていた。

 家に帰った僕は、買ったばかりの本を机に並べていた。
『247番目の鍵』——未完のままの薄い冊子。

 妄想が暴走したファンタジーなんかじゃなかった。現実の方が、よほど残酷で、よほど切実だった。

 もしあの時、声に気づかなかったら。もし、ただの聞き間違いだと思ってロッカーを閉めていたら……そう考えると紙袋が余計に重たく感じた。しかし今は、その重たさが少し愛おしくもあった。

 文学フリマの帰り道は、予想外の「現実」を救うための、最高のプロローグになったのだから。



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