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優しいね、の違和感

いつも読んでいただきありがとうございます🌷

私は、「優しいね。」
と言われると、なんとなく違和感を感じる。

「あはは。」と笑顔で返事をしつつ、
実はそうでもないですよ・・・。
と、思うことの方が多かった。

人の感情・声色一つで、
傷つきやすい
自分を守るための防衛手段のような
気がするからだ。

だからいつも心のどこかで、
『これをしたら喜ばれるんじゃないか。』
と、思ってしまうのだ。

本当に優しい人は
そうじゃないような気がする。

だから偽りの優しさを精一杯使うと、
キャパオーバーしてしまい、疲れ切ってしまう。

もっと楽に生きたいのに・・・。

どうして私はいつもこうなんだろう。

深いところに静かに沈んでしまうのだ。

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これまでに書き溜めてきた
手帳やノートを見返してみるようになった。

自分を上から見下ろしているようで、
少し冷静になれる気がする。
冷静になれた自分とその時の自分と向き合って
noteを書いている。

今、私がnoteに書いているのは
そのためでもある。

続けていくと、
『それって結局自分中心じゃん。』
と、思わなくてもいいんじゃないかと
考えるようになってきた。

『優しいね。』と言われたのは、
その私の行為の一部であって
すべての私ではないのでは?

私は、どうしてもその人自身を
見てしまいがちだけど、
私のすべてを相手は知らないはずだ。

その言葉の真意についても
一つ一つ考えなくてもいいかもしれない。

考え方は癖でもある。
それについてはどうしようもない。

だから、もう一つの考えの引き出しを
もっておけばいいんじゃないかな。


その引き出しを使う時は、
きっと私は疲れている。

だからこそ、

引き出しに入っている
甘いお菓子と温かい飲み物。

ああ、そして好きな本をもって行こう。

自転車にのって、
いつものわたしの好きなあの場所へ行こう。

そうしたらほら、
私を知らない人が
たくさんいるんだってことがわかるから。



もしよければ、こちらの記事もご覧ください。
日々私は感情に振り回され、
手帳やノートに書き続けています。
そんな自分が、
みっともなくて、
愛おしい。
そう思えるようになりたいです!
今日もありがとうございました🌷


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