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ネット自警団がもたらした「言葉狩り」の病理:『的を得る警察』の暴走が残したもの

インターネットの普及は、誰もが自由に意見を発信できる言論の場をもたらした。しかし同時に、本論とは全く無関係な「言葉の揚げ足取り」に終始し、コミュニティの対話を破壊する「ネット自警団(言葉警察)」を生み出す原因にもなった。

その最たる象徴が、2010年代以降に爆発的な広がりを見せた「的を得る警察」である。

学術的な背景や過去のメディアにおける豊かな表現の歴史を紐解きながら、彼らが現代の言論空間にもたらした「常軌を逸した言葉狩り」の構造と、その病理についてまとめる。

1. かつて「的を得る」は最高峰の知性と品格の言葉だった

現代のネット上では「的を得るは誤用」という言説が定着しているが、歴史を遡ると全く異なる景色が見えてくる。1980年代から90年代にかけて、日本のメディアや知識人の間では、むしろ「的を得る」の方が主流かつ自然な日本語として機能していた。

その決定的な証拠が、当時のテレビ番組のスクリプト(台本)である。

  • NHK人形劇『三国志』(1982年〜) 作中で「徳と教養の塊」として描かれる主人公・劉備玄徳が、セリフとしてごく自然に「的を得ている」と発言していた。

  • NHK教育『天才てれびくん』内アニメ『ジーンダイバー』(1994年〜) 作中最高峰の「知性と論理」を象徴するプログラム人格のキャラクター、ティル・ニー・ノグが「今のところ、虎徹のいう事が一番的を得ているだろう」というセリフを残している。

プロの表現者が徹底的に推敲し、全国の子供から大人までが視聴するNHKの番組において、最も知的なキャラクターや品格のある主人公の言葉として「的を得る」が選ばれていた。当時は「的を射る」の方がむしろマイナーであり、社会全体が「的を得る」を正しい市民権を持つ言葉として共有していたのである。

2. 2010年代:ネットインフラの変容と「言葉警察」の爆発

2000年代初頭のインターネット黎明期(2ちゃんねる等のアングラ掲示板時代)にも誤用を指摘する層は存在したが、彼らは専門のスレッド(檻)の中に棲み分けており、一般の言論空間に実害を及ぼすことは少なかった。

しかし、2010年代以降、スマートフォンやSNS(Twitter、ヤフコメ等)が爆発的に普及したことで潮目が変わる。特定のキーワードを串刺し検索できるプラットフォームの誕生により、「言葉警察」たちが一般の議論の場へ土足で侵入し始めたのである。

ここから、常軌を逸した「言葉狩り」が始まる。

戦時中の歴史や政治、重大な社会問題など、お互いに敬意を払い、慎重に文脈を読み解くべき「重厚な本論」のスレッドであっても、彼らは全く空気を読まない。「的を得る」という4文字を見つけた瞬間にスイッチが入り、議論の中身を完全に無視して、

「的は得るものではなく、射るものですよ」 というお決まりの定型文(ネットスラング)を書き込んで突撃するようになった。

3. 「対話の不可能性」という不気味な病理

言葉警察の最も異常な特徴は、どれほど完璧な論理で反論されても、一切の思考を放棄して壊れたレコードのように同じ主張を繰り返す点にある。

あるユーザーが、言葉警察の「的は得るものではない」という主張に対し、一歩譲歩して「正鵠(せいこく=的の中心)を得る」という中国の古典(『礼記』など)に由来する由緒正しい故事成語を提示し、歴史的・学術的な根拠を示した事例がある。

普通であれば、これほどの決定打を突きつけられれば自らの無知を認め、議論から引くのが道理である。しかし彼らは、

「いや、的は射るものですよ」 とbot(自動応答システム)のように同じセリフを繰り返し、平行線をたどり続けた。

彼らにとって目的は「正しい日本語の守護」ではない。本論の知識では太刀打ちできないため、仕入れてきた一握りの雑学を武器に「相手の間違いを指摘する賢い自分」を演出し、他者を見下す「マウンティング」だけが目的なのだ。

自分の頭で思考せず、文脈(コンテキスト)を読み解く能力も持たず、ただ記号のように他者を攻撃するその姿は、対話の通じない狂気と不気味さを孕んでいた。彼らは自分を「親切な指導者」と思い込んでおり、最終的に「あなたは本論と無関係な荒らし行為をしている」と明確な社会的評価(ペナルティ)を突きつけられて、初めて退場する始末であった。

4. 辞書による「警察の論破」と、言葉狩りが残した爪痕

こうしたネット自警団の暴走に、学術界が引導を渡す瞬間が訪れる。

2013年12月(2014年1月発売の第7版)、それまで「的を得るは誤用」と記述していた『三省堂国語辞典』が、編集委員の飯間浩明氏らによる緻密な文献調査を経て方針を大転換。過去の検証不足を認め、「的を得る」は歴史的にも構造的にも正しい日本語であるとお墨付きを与えたのである。これにより、ネット自警団たちの最大の武器は学術的にへし折られ、彼らは「ハシゴを外される」形となった。

しかし、2020年代を過ぎた現在でも、なお「的を得る」という表現は表舞台から消えかけている。

なぜか。それは正しい側である一般のユーザーやメディアが、「『的を得る』が正しいことは知っているが、使うと、あの話の通じない面倒な言葉警察に絡まれて議論が台無しになる。だから最初から『的を射る』や『核心を突く』と書いておこう」と、自己防衛のために表現を自粛(萎縮)してしまったからである。

結び:言葉狩りがコミュニティに与える教訓

「的を得る警察」問題が私たちに残した教訓は重い。

科学的・歴史的に正しい主張をしている側が、声が大きく執拗な「間違った自警団」のノイズを嫌って口をつぐみ、結果として豊かな言葉の表現が戦場から撤退させられてしまう。これは、現代のネット社会における「理不尽な同調圧力」と「対話の不可能性」を象徴する出来事であった。

私たちは言葉の記号的な「白か黒か」のルールに縛られるのではなく、その背後にある歴史や、目の前の議論の本質という「文脈」にこそ、真に目を向けるべきなのである。

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