シングルファザーになって、一番変わったのは時間の感覚だった
娘が寝て、やっと静かになったリビング。
さっきまで聞こえていた「パパー」という声も、おもちゃが転がる音もない。
シンクには洗い終わった食器が伏せてあって、部屋の電気も少し暗くしている。
時計を見ると22時半だった。
「さて、自分の時間だ。」
そう思った。
でも、何かを始めるには少し遅い。
映画を見るには中途半端だし、本を読むほど頭も回っていない。仕事をする元気も、そこまで残っていない。
でも、寝てしまうには少し惜しい。
結局、ソファに座ってスマホをぼんやり眺める。
最近の自分の時間って、こんな感じだなと思った。
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シングルファザーになる前、私はもっと先を見て生きていた気がする。
来年は何をしよう。
どんな仕事をしたいだろう。
何歳までにこうなっていたい。
そんなことを考える時間が、自然とあった。
時間はもっと大きな単位で流れていた。
年単位とか、少なくとも月単位とか。
大人になるというのは、そうやって未来を見ながら生きていくことなんだと思っていた。
でも今の自分は、少し違う。
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私は人事の仕事をしている。
仕事では半年後、一年後を考えることが多い。
来年度はどれくらい採用するのか。
どんな人材が必要になるのか。
組織をどうしていくのか。
考えていることだけ切り取れば、かなり長期目線の仕事だと思う。
でも、その一方で、頭のどこかでは別の時計が動いている。
「今日は何時に会社を出られるだろう。」
「あと30分でここまで終わらせたい。」
「17時半には出ないと、お迎えに間に合わない。」
半年後を考えながら、同時に数十分後のことも考えている。
この感覚が、自分でも少し不思議だ。
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保育園へ迎えに行って、家に帰る。
そこからは、ほぼノンストップになる。
夕飯を用意して、一緒に食べる。
お風呂に入る。
髪を乾かす。
歯を磨く。
寝かしつけをする。
でも、もちろん予定通りには進まない。
「お茶飲みたい。」
「トイレ。」
「抱っこ。」
「今日は一緒に寝る。」
3歳と暮らしていると、「あと5分」が通用しない場面が本当に多い。
子どもは今を生きている。
今、お茶が飲みたい。
今、話したい。
今、抱っこしてほしい。
だから、こちらの予定なんて簡単に組み替えられる。
あと10分で寝ると思っていたのに30分経っている、なんてことは珍しくない。
最近は、30分後のことすら読めない。
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それに、シングルファザーの生活には、時間を吸収してくれる人がいない。
誰かが代わりにお風呂へ入れてくれることもない。
誰かが洗濯物を畳んでくれることもない。
両親は北海道に住んでいて、日常的に頼れる距離ではない。
急な予定変更を受け止めてくれるバッファがほとんどない。
自分が止まると、全部止まる。
そんな前提で時間が流れている。
だから最近の私の人生は、「年単位」ではなく、「30分単位」なんだと思う。
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そして、娘が寝たあとに突然やってくる静かな30分。
この時間が妙に特別に感じる。
ただ、その30分ですら完全には自分のものじゃない。
夜中の12時前後。
「パパ……。」
小さな声で起こされることがある。
洗濯をしていても。
少し仕事をしていても。
動画を見ていても。
全部、途中になる。
最近は、それにも慣れてきた。
途中で終わる前提で洗濯を回す。
途中で終わる前提で仕事をする。
途中で終わる前提で、自分の時間を使う。
前の自分だったら、少し嫌だったかもしれない。
でも最近は、それが普通になってきている。
それが少し不思議で、少しだけ寂しい。
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昔の自分は、もっと先を見て生きていた。
今の自分は、「今日を終えること」にかなり集中している。
娘が寝て、洗い物が終わって、部屋が静かになって。
「ああ、今日もなんとか終わった。」
そう思えたら、それで十分な日がある。
未来を諦めたわけじゃない。
ただ今は、「今」を積み重ねている時期なのかもしれない。
そう思う日もあるし、やっぱり昔みたいに先のことをゆっくり考えたいと思う日もある。
まだ、自分でもよく分からない。
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人って、環境が変わると、生き方だけじゃなくて、時間の流れ方まで変わるものなんだろうか。
最近、22時半の静かなリビングでぼんやりスマホを見ながら、そんなことを考えている。
たぶん明日も、私は「あと30分」を積み重ねながら一日を終えるのだと思う。
