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人事イベントの申し込みページを閉じた夜

テーブルの上に麦茶が広がっていた。

娘が何枚もティッシュを重ねて、一生懸命拭いている。

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」

誰に言っているのか分からない言葉を繰り返しながら。

私はその様子を見ながらスマホを眺めていた。

夜の8時前。

夕飯は食べ終わった。

シンクにはまだ洗っていない食器が残っている。

エアコンの音だけが静かに聞こえていた。

その時だった。

人事向けイベントの案内が流れてきた。

思わず開く。

登壇者を見る。

知っている名前が並んでいる。

最近考えていたテーマばかりだった。

採用。

組織づくり。

キャリア。

正直、かなり行きたかった。

こういう話を聞く時間は好きだ。

普段の仕事では出会えない考え方に触れられるし、人事として少し視野が広がる気がする。

開催日時を見る。

19:00〜21:00。

そして、そのまま画面を閉じた。

早かったと思う。

参加できるか考えるより先だった。

予定を調整できないか考える前だった。

ただ、

「無理か。」

と思った。

それで終わった。

娘がこちらを見る。

「パパ、みて。」

ぬいぐるみを頭に乗せている。

「すごいね。」

「でしょ。」

満足そうに笑う。

私は笑い返す。

それだけだ。

それだけなのに、なぜか少しだけ心が引っかかった。

別に不満があるわけじゃない。

娘との時間は大切だ。

むしろ、今しかない時間だと思う。

だからイベントに行けないことが悲しいわけでもない。

ただ、自分の選択肢には最初から入っていないものがある。

そんなことを思った。

昔だったらどうだっただろう。

参加する方法を考えたかもしれない。

誰かに声をかけたかもしれない。

でも今は違う。

できない理由を探したわけじゃない。

できる方法を考えたわけでもない。

最初から答えが出ていた。

慣れたのかもしれない。

そのことに気づいた時の方が少し寂しかった。

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娘は何も知らない。

食後のデザートを食べて、ご機嫌で歌を歌っている。

突然踊り出したりする。

さっきまで麦茶をこぼしていたことなんて、もう忘れている。

私はその横で食器を洗う。

明日のことを考える。

朝ご飯どうしよう。

保育園の着替えは足りていたっけ。

午前中は面接がある。

午後は打ち合わせ。

そんなことを考えながら洗剤の泡を流す。

そしてふと、

「もし今、自分が倒れたら。」

と思う。

普段は考えない。

考えたところで答えが出る話でもない。

でも夜になると、時々そういうことを考える。

私は人事の仕事をしている。

会社ではリスクの話をすることがある。

誰か一人しかできない状態は危ない。

引き継ぎを作ろう。

バックアップを作ろう。

そんな話をしている。

でも家に帰ると、笑ってしまうくらい全部自分だ。

朝起こすのも私。

保育園へ送るのも私。

迎えに行くのも私。

ご飯を作るのも私。

寝かしつけるのも私。

もちろん、それが嫌なわけじゃない。

でも「もし」が頭をよぎる夜だけ、その事実に重さが出る。

両親は北海道にいる。

遠い。

新幹線で少し行ける距離じゃない。

飛行機に乗る距離だ。

何かあれば助けてくれると思う。

でも、今すぐ来てとは言えない。

その距離は埋まらない。

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寝室へ行くと、娘がぬいぐるみを並べ始めた。

嫌な予感がする。

「今日はね、この子がお医者さん。」

始まった。

布団でぬいぐるみ遊び。

たぶん一時間コースだ。

私は少し笑う。

眠る前なのに元気すぎる。

その姿を見ながら、さっき閉じたイベントページのことを思い出す。

たぶん参加していたら面白かった。

知らない人とも話せただろう。

刺激ももらえただろう。

でも、今ここで娘とぬいぐるみの診察ごっこをしている。

それもまた嫌ではない。

嫌ではないのだけれど。

うまく言えない何かが残る。

その時、スマホが光った。

北海道の母からだった。

「元気?」

それだけ。

私は少しだけ返信を止める。

疲れていないわけじゃない。

考えることがないわけでもない。

でも結局、

「元気だよ。」

と返した。

しばらくすると、

「無理しないでね。」

と返ってくる。

それを見て少しだけ肩の力が抜けた。

遠い。

でも、いないわけじゃない。

その違いは意外と大きい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

娘はようやく眠った。

小さな寝息が聞こえる。

私は部屋の電気を消して、明日のアラームを確認する。

朝になれば、また普通に始まる。

保育園へ送って。

仕事をして。

迎えに行って。

ご飯を作って。

きっと今日考えたことも忘れている。

でも、また何かの拍子に思い出すのだと思う。

人事イベントの申し込みページを閉じた夜みたいに。

大人になってから、

「自分しかいないな。」

と思ったのは、いつだっただろう。

最近、そのことを時々考える。

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