誰のためでもない自分のためだけの夢を持つ
また夢を持ちたくなった。
未来の自分に対しての、だ。
こんなファッションがしたいな、とか。
こんなことをやってみたい!とか。
こんなふうに過ごしたい、とか。
考えると心がワクワクして、体がふわふわと浮かびあがる感じ。それがなんだかこそばゆい。
だけど、、ちょっと怖くもある。
なぜなら、少し前の私にとって夢を抱くことは、同時に不足を抱えている自分を垣間見るものだったから。
なりたいもの…というよりかは、ならねばならぬもの だったんだよね。
追いかけ続けなきゃといつもゼェハァ。どこか遠く先の見えない夢に、私はしんどさと重たさで押し潰されてしまっていた。
だから一度全部捨てることにした。
全部止める。目指さない。抱かない。
それはある意味自分を諦めるようなもので…自分の中からものすごい不安と無価値感、そして罪悪感が現れた。
何もすることのない、何も出来ない、ただそこにボーっと突っ立っているだけの空っぽな自分に絶望もした。
正直まだ、その絶望を感じるときはある。
でもそれは風のようなもの。その瞬間をただ味わえば、次の瞬間には立ち去るものなのだ…と、少し分かるようになってきた。
そして今、また、自分の中に夢を感じている。
ワクワクふわふわした夢。
だけど以前抱えていた夢とは明らかに違う感じがする。なんでだろう?無意味でもいいからかな?
叶ってもいいし、叶わなくてもいい。
だけど叶えたい。自分の人生をより豊かにするために。
ああ、そうか…
私を幸せにするためだけの夢なのか。
誰かに自慢するためでも、誰かに認められるためでも、何かを埋めるためでもない。ただただ自分の好きな世界を創るための夢。
しんどくて重たくてならなきゃだった夢は、他人から見てどうこうと言う、他人軸の夢だった。
自分と言うよりかは外側から、そう思わされていたものだったんだ。
正解、成功、勝ち組、優越感、、
それはやっぱり外側を比べて上下を付ける心の癖が私の中にあったからで…逆を言えば、そうしなきゃ私はとてもとても不安だったからなんだよね。
自分で自分の価値を信じてあげられていなかった。
だけどそんなことをしなくても私には十分価値があるし、例え無価値であっても私が幸せだと感じるならそれだけでいい。
そんなふうに思ってあげられることがめちゃめちゃ嬉しい。私は今、クソ幸せだわ。
だけどもっともっと自分を幸せにしてあげたい。心を、体を、喜ばせてあげたい。
だからまた、夢を持とうと思う。
価値を測って優劣を決めるための夢じゃなく、自分を幸せにするための夢を。
自分のためだけの夢を自分の手で叶えてく!
その一歩一歩がとても面白いし、例え立ち止まってしまったとしても、それすらきっと楽しい。
そう思えるのは叶えなきゃと義務化され、未来に漠然とあるものなのではなく、叶え続ける足跡さえも私にとっては夢だからなのだろう。
そっか、夢もすぐ目の前にあるものだったんだ。
大きくなくていい。
自分が分かればそれだけでいい。
過程さえも夢のカケラとして、ワクワクしながら自分だけの夢を叶え続けていこうと思う。
