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日本の服装の歴史(11)江戸時代中期の服装

江戸時代中期(18世紀初頭〜18世紀末頃まで、元禄期の終わりから天明・寛政期頃まで)は、これまでの派手でダイナミックな文化から一転し、「洗練された渋み」や「隠れたオシャレ」に美意識がシフトした時代です。

​度重なる幕府の奢侈禁止令(贅沢を禁じる法律)によって、表立って豪華な格好をすることが難しくなった結果、町人たちは制限の中でいかに知恵を絞ってオシャレを楽しむかという**「粋(いき)」の文化**を完成させました。また、現代の着物のスタイルに最も近づいた時期でもあります。

​この時代を象徴するディテールや、身分ごとの特徴を詳しく解説します。

​1. 衣服の構造的な大変化(現代のスタイルへ)

​江戸中期は、衣服の形や着こなしが劇的に進化した、服飾史上の大きな転換期です。

​「おはしょり」の誕生と定着:

前期までは身丈(着物の長さ)ぴったりに仕立ててストンと着ていましたが、中期になると女性の着物の身丈がどんどん長くなりました。これにより、余った丈を腰の部分でたくし上げて帯の下で固定する**「おはしょり」**の技術が誕生し、一般的な着方として定着しました。

​帯のさらなる巨大化と「後ろ結び」の固定:

帯の幅はさらに広くなり(約18〜20cm)、長さも伸びました。前で結ぶと動きづらく、せっかくの美しい着物の柄(上前の柄)が隠れてしまうため、**結び目を後ろに回す「後ろ結び」**が女性の間で完全に固定化されました。

​袖の形の変化(振袖のロング化と、お針の工夫):

未婚女性の振袖はさらに長くなり、地面に届くほどになりました。また、既婚女性の着物は袖の下側を丸く縫い付ける「元禄袖」などが流行し、実用性と美しさを両立させる工夫が進みました。

​2. 町人・庶民の服装(「四十八茶百鼠」と「裏勝り」の美学)

​経済力を持つ町人が流行をリードしましたが、幕府の厳しい取り締まりにより、その表現方法は非常にハイレベルで内向的なものになりました。

​「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」の極致:

派手な色(赤、紫、金など)の着用が禁止されたため、町人たちは**「茶色」と「鼠色(グレー)」、そして「藍色」**のバリエーションを極限まで広げました。「団十郎茶」や「路考茶(ろこうちゃ)」など、人気歌舞伎役者の名がついた微妙なニュアンスの渋い色が爆発的に流行し、この地味な色合いを洗練されて着こなすことが「粋(いき)」とされました。

​「裏勝り(うらがち)」の流行:

雪の真土山 鳥居清長

表向きは地味な木綿や紬(つむぎ)を着ながら、羽織の裏地や着物の八掛(裾の裏側)に、最高級の絹や非常に豪華な浮世絵風の刺繍を施す技法が大流行しました。パッと見は地味に見せておき、動いた瞬間にチラリと見える裏地の豪華さに大金をかけるのが、中期町人の最高のオシャレでした。

​木綿(もめん)の完全定着と藍染め:

日本全国で木綿の生産が全盛期を迎え、庶民の衣服はほぼ100%木綿になりました。特に「藍染め(あいぞめ)」の技術が定着し、街中が深い青色に染まる、日本独自の景観が完成したのがこの中期です。

​3. 武士の服装(形式化・記号化の完成)

​武士の服装は、完全に「自らの身分や職責を正確に示すための制服」としてガチガチにルール化されました。

​裃(かみしも)の巨大化・硬質化:

江戸前期に比べて、裃の肩の部分が真横にツンと四角く張り出す形状(鯨の髭などを芯に入れて硬く仕立てたもの)が完成しました。袴の裾も長く引きずる「長袴(ながばかま)」が城内での正式な礼装となり、一歩間違えれば踏んで転ぶような、動きにくく威厳を保つための衣服へと変化しました。

​「家紋」による識別:

遠くからでもどこの誰かが一目でわかるよう、衣服につける家紋の大きさや位置が厳格に規定されました。

​4. 髪型と小物の連動(トータルコーディネートの発展)

​帯が太くなり、着物の着こなしが複雑になったことで、髪型や小物も劇的に変化しました。

​髪型の巨大化(灯籠鬢:とうろうびん):

灯籠鬢 両鬢の中にくじらの骨で作った鬢差を入れて張り出させ、毛筋がすけて見えるようにしたもの。鳥籠鬢(とりかごびん)。

中期(特にお調子が高い宝暦・明和・安永期など)には、頭の横側の髪(鬢:びん)を、まるで灯籠の傘のように真横に大きく張り出す髪型が流行しました。これに伴い、べっ甲や木製の華麗な「櫛(くし)」や「簪(かんざし)」が発達しました。

​根付(ねつけ)と印籠(いんろう):

根付と印籠

着物にポケットがないため、タバコ入れや印籠を帯から吊るすための留め具である「根付」が、男性の間で芸術的な工芸品として大流行しました。小さく精巧な彫刻が施された根付を持つことが、大人の男のステータスでした。

​まとめ

​江戸時代中期の服装は、「幕府の規制(ルール)」と「町人の反骨精神(知恵)」がぶつかり合うことで生まれた、日本独自の引き算の美学が凝縮されています。

​一見すると江戸前期や元禄時代のようなハデさはありませんが、近くで見たときの生地の質感、仕立ての良さ、そして見えない部分へのこだわりなど、現代の高級な着物文化のベースにある「洗練された渋み」は、すべてこの中期に完成したと言えます。

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