第二章 『扉の前で』 P.
プロローグ 「小さな投稿が、扉だった」
珍しく通勤電車の中だった。いつもは自転車通勤。
始発電車の揺れに身を任せながら、私はスマートフォンを握り、ほんの数行の文章を投稿した。
深い決意があったわけではない。
壮大な計画もなかった。
ただ、「試してみようか」という小さな衝動があっただけだ。
投稿ボタンを押す指は、ほんの少しだけ迷った。
読まれないかもしれない。
続かないかもしれない。
それでも…数行なら書けるかもしれないと思った。
それが、9年先、そしてその先へと続く最初の一歩になった。
3月9日。
振り返れば、あの日はひとつの扉だったのだと思う。
人間は弱い。
自信はすぐ揺らぎ、思うようにいかない現実に立ち止まる。
顔も知らない誰かに問いかけながら、本当に届くのかと不安になる。
音楽に込めた思いも、文章に込めた願いも、受け入れられる保証はどこにもない。
期待と希望は、思ったよりも簡単に萎んでいった。
それでも、あの日の私は大きな宣言をしなかったのだ。
「ただ、数行なら書けるかもしれない」
それだけだった。
最初の扉は、大きく開く必要はない。
ほんの少し押すだけでいい。
だが、出会いはあった。
扉の向こう側で。
あの小さな投稿から、今までとは違う時間が動き出した。
直接会うことはなくても、画面の向こうで言葉が交差し、思考が深まり、静かな対話が続いていった。
この八周年プロジェクトは、創作者としての再起動ではない。
もっと根の部分……人間としての再構築の記録である。
経験や知識は積み重なった。
だがそれは完成ではなく、土台にすぎない。
その土台の上で、もう一度問い直してみたい。
なぜ、あのとき扉を押したのか。
なぜ、今も書き続けているのか。
そして、これからどんな扉の前に立つのか。
再構築とは、壊すことではない。
選び直すことだ。
これまでの自分を否定するのではなく、必要なものを抱え直し、新しい形へ組み替えていくこと。
人間は弱く、未完成で、不完全だ。
それでも、幸せになれないわけではない。
弱いままでも、扉の前に立つことはできる。
弱いままでも、ほんの少し押すことはできる。
あの日、通勤電車の中で押した小さな扉は、今も静かに続いている。
そして今、私はまた新しい扉の前に立っている。
あなたの前には、どんな扉がありますか。
その扉を、どうしますか。
扉は、一度開けただけでは終わらない。
この続きは、「扉の向こう側」で書くことにする。
物語の原点は…はてなブログ「地球生活研究所ワシ的日誌」にあります。
https://www.hasehome1192.com
