人事部付 真田雪乃の議事録<1-5 やっぱりブラックなクリスマス>
前回までのあらすじ
人事部付の新入社員・真田雪乃は、上層部の会議で社長に意見を求められ、咄嗟に「営業所もクリスマスイブを休みにしてはどうか」と提案する。
その背景には、同期であり、大切な友人でもある丸田茉莉也の働きすぎを案じる気持ちがあった。
しかしその日、茉莉也はまさに南花営業所でこっそり休日出勤をしていた。
誰にも気づかれないよう、淡々と付箋に埋もれた仕事を片付ける彼女の前に、突然、営業でオーナー担当の黒木さんが現れる。
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第一章 ホワイトな本社 ブラックな営業所
第五話 やっぱりブラックなクリスマス
突然現れた黒木さんは、いつもより少しばかりラフな紺色のダッフルコートを羽織り、スニーカーを履いていた。髪型はいつものように固めてなくて、そこで初めて彼が天然パーマだったことに気づいた。
営業所には、大きく分けて二種類の営業職がいる。ひとつは、入居希望者に物件を紹介し、内見や契約をサポートする「賃貸仲介営業」。そしてもうひとつが、不動産オーナーに対して、物件の入居者募集や建物管理の提案を行う「賃貸管理営業」だ。黒木さんは後者で、土地活用を考える地主や不動産オーナーにマンションの管理プランや設備導入を提案している。
商談に出向くことが多い黒木さんは、電話対応や事務作業の多い茉莉也とは、日頃あまり顔を合わせることがなかった。
それでも、知った顔にちょっと安堵して、「メリークリスマス」と返した。
「丸田さん、なんで今日いるの?」
「私は…仕事終わんなくて。黒木さんは?」
「ああ、ちょっとね。明日オーナーさんに会うから、その資料を確認しようと思ったんだ」
お互い大変ですね、と言い合って自席に戻った。
黒木さんとは背中合わせの席だった。書類の処理をしていると、先ほどお客さんと間違えたことや、伸びをした時に思いっきり声を発していたことに気づき、急に恥ずかしさが込み上げてきた。振り返って黒木さんの後ろ姿を見やるが、特に気にも留めずに資料を作っているようだ。紺色のダッフルコートを椅子にかけていた。目の細かいベージュのセーターを着ている彼は、いつもより背中が大きく見える。
後ろでキーボードを打つカシカシという音が聞こえると、どうも落ち着かない。明日こなせる量まで仕事が終わったら、今日は帰ろう…そう思った時、背中合わせのまま黒木さんが声を発した。
「ケーキ、食べない?」
「…あるんですか?」
思っても見なかったことだ。茉莉也は黒木さんの方を向いて聞き返した。
「そう。まあ…一人分を分けるしかないんだけど…。」と、急にぼそぼそと言う。本当は茉莉也が食べるべきではないのかもしれなかった。それでもケーキという言葉の魔力には抗えなかった。そもそも昼食も持ってきていなくて、急に空腹を覚えた。
「いただいてもいいですか?私、適当なフォークで分けときますよ!」
「いや、いいって、忙しいでしょう。後で俺が分けるよ」
黒木さんが言うのを茉莉也は制した。
「いや、ちょっと息抜きしたいところだったので、私が分けますよ」
「ありがとう!じゃあ、ケンカにならないように、平等に分けてね」
その物言いに茉莉也は吹き出した。
黒木さんは柔らかいキャメルの皮の鞄から白い箱を取り出した。箱には金色に縁取られた赤いリボンがかけられていて、いかにもクリスマス仕様である。
営業所には何かイベント用に使い捨てのフォークや紙皿があったはずだった。それらを持ってきて、白い箱を開けると、手のひらぐらいの直方体のチョコレートケーキが現れた。
クリスマスケーキといえば苺の乗ったショートケーキか切り株のブッシュドノエルを想像していた。
クリスマス、というには少々シンプル過ぎる形だ。
しかし直方体にチョコレートが固められ、パウダーが均等にかけてあるのは幾何学的な美しさであった。
「四角いんですね…」
「そう、石畳ショコラ。近くで長崎フェアやってたから、懐かしくって。」
「懐かしい…?黒木さんって長崎出身なんでしたっけ」
「両親がね。小さい頃、旅行といえば長崎しか行ったことなかったなぁ…」
「長崎…鎖国してた時の玄関口というイメージしかないですね…」
「いつの時代の話…?」
黒木さんとは話したことがなかったのに、こんなに自然に軽口を叩いてしまう。休日出勤のなせる技なのか、ケーキを前にしてるからだろうか。
四角い石畳ショコラは真ん中の目星も付けやすい。フォークを入れると驚くほど柔らかく、見た目の無骨さとは違うしっとりした質感だった。中にはチョコレートとスポンジが、まるで地層のようだ。大体同じ大きさに切り終わると、茉莉也はそのうち一つを紙皿に載せて新しいフォークとともに、黒木さんの自席の端に置いた。
黒木さんはパソコンの画面から目を離さずに「お、ありがとう。」と言った。茉莉也は残りを紙皿に乗せて自席に持っていった。書類にチョコレートがかからないように片手で脇に避ける。
(これって…偶然とはいえ、黒木さんとクリスマスを過ごしてる…?)
一瞬そんな思考をした自分が恥ずかしくて顔が熱くなった。今までほとんど接点のなかった男性に対して、この考えはあまりにも重すぎではないか。頭の中から振り払おうとして、首を全力で横に振った。
「どうかした?」
首を振る気配を勘づかれたのだろうか。黒木さんが背中合わせのまま尋ねた。
「いや、なんでもないです…」
適当にごまかして、茉莉也はフォークで一口分を刺し、口に入れた。上品な苦さのビターチョコレート、ミルクチョコレート、優しい甘さのスポンジが口いっぱいに広がった。オフィス機器だらけの無機質な空間がカフェになったようだ。
「美味しい!これ…コーヒー欲しくなっちゃいます…」
そう言いかけた時、突然、茉莉也の中に、寂しさが込み上げてきた。
堤防が決壊したように涙が溢れた。恥ずかしい、変な子だと思われる。そう思うとますます溢れてしまう。黒木さんは後ろを向いて黙っていた。
ずっと、平気だと思ってた。
残業代がつかないように、朝始発に乗って早出して、休日にこっそり出勤することも。今日出勤することも。電話に出ると業務が進まないことも。代理対応で半日が終わることも。仕事だから。大人だから。平気にしなきゃいけないと思っていた。
無理だった。
本当は、何もかも投げ出したくなる時があった。シフト明けでパソコンの周りについている付箋、全部捨ててやりたくなる時があった。電話が何コール鳴っても、無視してやりたくなる時があった。今日で営業所が崩壊しないかな、とさえ思うときがあった。
社会人だから、大人だから、プロフェッショナルだから。
その言葉を重しにして、浮き上がらないようにしていた。
それなのに…
後ろで黒木さんが立ち上がり、別室に行く足音が聞こえる。
気まずい思いをしてしまったのだろうか、そう思うと申し訳ない気持ちになった。
(落ち着いたら…美味しすぎて感動しちゃって…とでも言い訳しておこう。)
「…お客様、ご注文のコーヒーでございます。」
カフェ店員めいた声が聞こえ、振り返ると黒木さんがトレイに紙コップを乗せて立っていた。
一瞬何が起こっているのか分からず、茉莉也は慌てて目元をぬぐった。紙コップからは湯気が立っている。
「お砂糖とミルクはご入用でしょうか?」
黒木さんがカフェ店員ごっこを続けているようだ。
「ブラックで…あ、えっと、すみません…」
先ほどの「コーヒーが欲しい」という発言を受けてのことだろうか。申し訳なさに、涙が引っ込んでしまった。
「なかなか上手いでしょ、こう見えて、大学生の時、純喫茶でバイトしてたんだ」
黒木さんが普段の口調に戻った。
「純喫茶…」
茉莉也は大学生の時、趣味でカフェ巡りをしていた。純喫茶にもいくつか入ったことがある。クラシックが流れ、木目調のアンティークな机、マスターがいて、小さなカップに入ったコーヒーなどが合わさって、居心地が良かったのを覚えている。
黒木さんの顔を改めて見た。一重瞼の切れ長の目元は、普段のスーツ姿だとスマートな印象だが、今日は天然パーマも相まって柔らかさを感じさせる。
スタバでも、パンケーキカフェでも、ブルーボトルコーヒーでもない。ちょっと古風な「純喫茶」という言葉が黒木さんの今の姿にぴったりと当てはまった。
「なんか、スタバじゃなくて、純喫茶って感じがします」
「よく言われるんだが…スタバだって俺を雇ってくれるはずだ、このコーヒーは、インスタントだけどね」
黒木さんは少し照れながら茉莉也に紙コップを手渡した。途端に手が温もる。口をつけると、営業所共用のインスタントコーヒーとは思えないほど美味しかった。茉莉也はカフェ巡りをしていた割には、コーヒーにそこまで詳しくなかったが、「雑味がない」という感覚を初めて覚えた。
「なんでインスタントがこんな美味しくなるんですか…」
思わず呟いてしまう。
「ウォーターサーバーのお湯と水の割合と粉の配分を調整したんだ」
黒木さんは得意げに言った。
「黒木さん、お店ひらけますよ」
自分でもおだてすぎかと思ったが、黒木さんは2人だけの空間なのに、誰にも聞かれるまいと、声を小さくした。
「実は…ここだけの話、将来カフェの開業目指してるんだ。」
「めちゃくちゃ素敵じゃないですか…!!」
茉莉也は思わず声をあげたが、ふと湧いた疑問を口にした。
「でも、カフェの開業目指してるのに、飲食業界じゃないんですね?」
「あなた面接官みたいなこと言うね」
と、黒木さんがフフ、っと笑うと、急に姿勢を正した。
「私、純喫茶でアルバイトをしており、味も雰囲気も格別だったため付近のお客様に愛されていたのですが客層の高齢化で足が遠のき、交通の便も良くないため新規のお客様も見込めず、廃業の危機に陥っておりました。私はここでいかに立地が店舗経営に影響するか思い知り、不動産という商材に興味を持ちました!…とか、まあ就活ではもっともらしいこと言ったけどさ、要は開業のための資金集めだよ」
「わあ…なんか、すごく受かりそうな動機ですね….」
「でしょう?」
黒木さんが、改めて茉莉也の方を見た。
「じゃあ、丸田さんの夢を、聞かせてよ」
突然問われ、茉莉也は考え込んだ。
夢なんて、考えたこともなかった。常に時間がもったいない。時間さえあれば仕事を終わらせたい。夢っていうより、「今の仕事を終わらせること」しか考えていなかった。常に増える申込書。シフト明けに刺さるような付箋。それを、終わらせる。
いつか、書類が積み上がっている机の上をまっさらにしてみたい。
「やっぱり、今の仕事を終わらせることしか考えられなくて…」
せっかく黒木さんが夢を語ってくれたのに、こんなことしか言えない自分が情けない。茉莉也は再びうつむいた。
「じゃあさ」
黒木さんの声に、顔を上げる。
「今日、ここでカフェを開業する!」
戸惑っていると、黒木さんが続けた。
「コンセプトは、『仕事終わらせ喫茶』!なんと、オプションで従業員のヘルプがございます」
この不思議な言い回しの意図することを、茉莉也はやがて察した。
彼もまた、面白ワードで乗り切るタイプなのかもしれない。
「もしかして、お仕事、手伝ってくれるんですか…?」
「うん、事務のことは教えてもらわないとだけど、物件のこと知ってるから、なんでも聞いてよ」
「それは、すごく助かります…!」
実際、ありがたい申し出だった。物件申込者から物件について質問事項があっても、営業が不在のため調べないといけないこともある。問い合わせ対応なので早めに対応せざるをえず、優先度が割り込まれてしまうのだ。
未処理案件をまとめたリストが書いてあるファイルを取り出した。
「早速なんですけど、この『コーポ白石』って、全室エアコン付いてますか?」
「うん、ついてる。てか、俺が提案してつけてもらった」
黒木さんは、おそらく初めて対応するであろう事務作業も、一度レクチャーすると丁寧に対応してくれた。そして、一つ一つの物件に「ああ、ここは相続で長男さんが継いだんだよなあ…」とか「オーナーさんすごく優しくてさ…」など、エピソードを話してくれる。それまで「処理すべき仕事」だった書類一つ一つに、物語が生まれた。
山のようにあった申込書のファイルは、どんどん減っていった。事務として初心者の黒木さんを茉莉也がダブルチェックする。ミスもほとんどない。やはり物件の知識があると違うのか。多少癖字だが、それが却って読みやすくしていた。
「どうですかね…先輩?」 黒木さんがわざとらしく上目遣いになる。
茉莉也も、「うん、バッチリです」と合わせて先輩ぶって答える。
そうして、やっと申込書類を全て処理することができた。
黒木さんに手伝ってもらってもなお、3時間以上はかかり、時計はもう18時近くだった。
それでも、全て処理ができた時の気持ちよさが、机の上を見れば一目瞭然だ。「こんなに綺麗な机見たの、配属以来かもしれません」
心のつっかえが、全て取れた気がした。
だが、きっとそれも一瞬のこと。
放っておけば、明日以降も仕事は増えていくだろう。
「明日さ、休んじゃいなよ」
茉莉也は目を丸くした。
「え…でも、明日は…日曜日だし…忙しいかと…」
「そんなの何とでもなるって、こんなに仕事ないの、気持ちよく休めるチャンスだよ」
でも…と逡巡する茉莉也に黒木さんは重ねた。
「知ってるんだ。全部。丸田さんが、頑張りすぎてること」
何も言えず、沈黙が流れる。
「だって、俺の電話メモ、ほぼ丸田さんの名前だし、どんなに早く来てもいつもいる。今日だって、もしかして出社してるんじゃないか、いやまさか…って思ったら、いるし…」
「それは…私が仕事が遅いから、そうしないと間に合わないんですよ」
黒木さんは首を横に振る。
「違う!むしろみんなが丸田さんに甘えすぎてるんだよ。まあ、俺も含めてだけど…このままじゃ、倒れちゃうよ…いや、今のうちに、ちょこちょこ倒れとこう?そしたらみんな、ちょっと自立するよ」
何も言えない茉莉也に黒木さんが畳み掛けた。
「頼む。ちょっと休んでくれ。困るんだ、丸田さんが、いなくなったら」
「困る…?」
事務処理なんて、さっき教えたばかりの黒木さんもマスターできる、いわば誰にでもできる仕事だ。
(困るだなんて、大袈裟な…)
茉莉也が顔を見ると、黒木さんが少し俯いていた。黒木さんの意図するところに気づき、顔が熱くなった。
「…わかりました。とにかく、ありがとうございます、所長に連絡して、明日、休みますね」
「うん、そうしたらいい。残りのケーキ食べて、帰ろう。」
黒木さんとケーキとコーヒーを囲んだ。彼が働いていた純喫茶のことや、茉莉也が巡ったカフェについて、読書しやすいカフェについて、好きなコーヒーの種類について、インスタントコーヒーの美味しい作り方について、話した。
普段なら電話と有線の音にかき消されてしまう営業所が、二人が交わす声で塗り替えられていく。
(黒木さんと過ごすクリスマス。やっぱり今日は、ブラックなクリスマス。)
やっぱり上手いことを考えた、と思うと笑みがこぼれてしまう。
面白ワードを考えれば、なんでも乗り切れるのだ。
でも、今。この瞬間、今日だけは…
「乗り切りたくない局面も、あるものですね」
そう言うと、黒木さんも少し笑った。
「うん、俺も…今は乗り切りたくない」
(第六話に続く)
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