【意外かも】宇多田ヒカルの生い立ち
知ってるかい?生まれた時のエピソード
今回は考察をやめてアイスブレイクのような形でこの記事を書く。そうとは言えど長文になる。
ここでは、彼女の音楽やそれに関連した話題には触れず、1人の人間の生い立ちを紹介したい。
宇多田ヒカル(宇多田光)は1983年1月19日、アメリカ合衆国ニューヨーク州のニューヨークで生まれた。
この時私はまだ生まれておらず、後々日本を代表する歌姫になることは、当然ながら知るよしも無かった。
彼女は、出産予定日を3週間以上過ぎた後もなかなか産まれなかったため、医師の判断で帝王切開したものの、ほぼ死産の状態だったと本人が明かしている。
父親(宇多田照實)は医師から「残念ですが、、」と告げられるが、そこで諦めなかった。彼は懸命にヒカルと名前を呼びながらマッサージし続け、徐々に血の気が入り、蘇生したという。
生きててくれて良かった。首の皮一枚繋がって生まれてきたのである。出産がどれほど大変なことなのか、文面だけでも想像を絶する。
名前の由来は、母親の藤圭子が、網膜色素変性症を患ったため、徐々に視力を失っていた時に授かった子であることから、「我が子から光が失われないように」という願いを込め命名したと言われている。
この他にも、「いちご」・「めろん」・「すいか」が名前の候補に挙がっていた。宇多田いちご、宇多田めろん、宇多田すいか、なんかお笑い芸人のような名前に思えてしまう。
もし、椎名林檎とコラボしていたらどうなっていたのか、想像が付かない。因みに、ニックネームは「ヒッキー(Hikki)」。
宇多田家のルーツは山口県にあり、父親が幼少期に家系図を見せられた際に、由緒ある家の跡継ぎである事を説明されたという。山口県山口市徳地島地(旧・佐波郡徳地町島地)に、宇多田という大庄屋があり、広大な土地を所有していた。
大庄屋とは、江戸時代に地方行政を担当した村役人の1つ。代官または郡奉行の下で数村から数十村の庄屋を支配して、法規の伝達、年貢割り当て、訴訟の調停などを行った。
現代でいう市役所とはだいぶ違うが、少しだけ似ている部分もある。
幼少期の話
両親の仕事の関係で、小さい頃から東京とニューヨークを頻繁に行き来していたという。帰国子女だけど、レベルが違いすぎると思う。私は海外に行ったことがないし、小さい頃に海外に行った人でも、頻繁に行ってたのはかなり珍しいであろう。
家族の生活は音楽を中心に回っていたそうで、小学生の頃からスタジオで宿題をしたり、ご飯を食べたり、ソファで寝たりしていた。なんか羨ましいなと感じるが、それはそれで苦悩があったに違いない。
その中で「光、ここちょっと歌ってくれない?」と頼まれ、親の楽曲で歌うこともあった。どの曲を歌ったのかは知らないが、当時の歌声がどんなものだったのか気になる。
小学生や中学生の時、どんな生活だったのか気になって調べてみたことが何度かある。しかし、出身小学校や出身中学校に関してはネットでいくつか記事があるが、記事によって違う学校名が書かれているので、信憑性が低い。
高校時代
高校はアメリカン・スクール・イン・ジャパン(※サイトによって表記が違う)を卒業している。
この学校は、1902年に創立され、60カ国以上から1,700名を超える生徒を迎えている。多国籍の生徒がいることもまた羨ましいと思ってしまう自分がいる。
卒業生は他に、タレントのジョン・カビラや歌手のジュディ・オング、青山テルマなど、幅広い層がいる。
宇多田ヒカル自身がコーチェラ(アメリカのカリフォルニア州の砂漠地帯で開催される野外音楽フェス)に参加し、その後NHKの番組で、「周りが外国人だらけの環境はどうでした?」と聞かれていた。
彼女の回答は、「高校生の時に周りの子が外国人ばかりだったので、自分が日本人という感覚が無かった。」というものだ。やはり視点がグローバル的である。
大学時代
大学はコロンビア大学に入学する。ここは、世界でもトップクラスの知名度を誇る私立の名門校で、Ivy League(アイビーリーグ)8大学の中の1つである。
1754年に設立され、ニューヨーク州の高等教育機関では最も古い大学。他のアイビー校は、都市部ではなく郊外に置かれているが、コロンビア大学だけは都市部(マンハッタン北部)に位置しているのが特徴である。
しかしながら、彼女は大学を中退する。理由は推測だが、音楽に専念したいことや日本人で珍しいと思われたからだと考える。なお、中退したのは1年生の時なので、かなり早めの段階でやめた。
結婚生活
2002年9月6日、19歳の若さで紀里谷和明と結婚するが、2007年3月2日に離婚する。今は晩婚化が進んでいるので、19歳で結婚となると驚かれるだろうが、当時からしても二十歳にならない年齢で結婚は、やはり若すぎると考える。
母親の死
一気に時系列が飛ぶが、2013年8月22日に藤圭子が死亡。死因は飛び降り自殺とされている。私もこの時は驚いた。ショックというか、現実を受け入れられなかった。
「母親はとても長い間精神の病に苦しめられており、本人の意志で治療を受けることが非常に難しい。」と宇多田が言っていた。
最終的には、「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかり。」と言った。
それ以降、彼女は長年にわたって治療を受けるようになる。その治療法とは、精神分析である。
精神分析は、フロイトによって創始された、人間理解と治療のための方法だ。基本的な考え方は、人の心の中に様々な気持ちが動いており、それによって不安や葛藤が生じ、心の働きに影響するというものである。そのような心のあり方を、無意識的な部分も含めて理解していくことを目指す。
実際の精神分析的精神療法では、本人が心に浮かぶことを自由に話す。それを通して、治療を担当する人と一緒に、心の中で起きていることについて考えていく。
効果があったのかどうなのか、彼女は精神分析についてこのようなツイートを残している。
自死遺族の集会に通ってみた時期、精神分析、育児や創作を通して自分と向き合い続けたこの10年で学んだこといろいろ。
— 宇多田ヒカル (@utadahikaru) August 21, 2023
死に正しいも正しくないも自然も不自然もない。
何かをすると決めた人間がそれを実行するのを周りがいつまでも阻止するのはほぼ不可能。…
2度目の結婚
2014年にイタリア人の一般男性と再婚。自身のブログを通じて、ファンやマスコミ向けに発表した。しかしながら、結婚生活は4年で終わりを迎える。ただ、2人の間で子どもを授かり、出産を経てからは息子も彼女の音楽活動に関わっている。
イギリスでの生活
時が遡るが、29歳の時(2012年)にギリギリワーホリが取れたとして、2年間を目安にロンドンに向かったという。
当初は「ずっといるつもりじゃなかった。」と言うが、「いい友達ができて街も合うし、もっと長くいたいと思った。」と住むことを決めたそうだ。
息子もロンドンが一番好きと気に入っているとし、徒歩圏内でさまざまなことができ「曇っている感じというか、暗い感じも結構好き。」と話した。
フランスのパリ在住の杏が宇多田と共に餃子を作ったことがあるのだが、2人ともヨーロッパの方が子育てがしやすいとは言っていた。
そして現在と未来
これは生い立ちの紹介という趣旨から少しズレてしまうことになる。
死別と出産、母親になってから彼女の考え方や価値観は変わったと思う。それは何を根拠に話しているのかと言えば、彼女の歌に違いがあると思う。
また、SNSで頻繁に息子との生活の写真を投稿している。
未来というのは、私の予測(しかも漠然としたもの)に過ぎないのだが、2030年までにはまたライブをやるのではないかと信じている。
彼女が歌手活動をやめないことを祈るばかりだ。
