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太古より、すべての人類は他界した後に日本国において大和民族により神として祀られていた。

太古より、すべての人類は他界した後に日本国において大和民族により神として祀られていた。
 
すべての人類が神として祀られていたことを確認するために、「後醍醐天皇 竹内文書 楠木正成対足利尊氏」竹田日恵著、平成12年7月7日、明窓出版刊、を再再度取り上げる。
 
同書の「はじめに」(12頁の中段)で次のように説明されている。
 
「・・・・・足利方の著書『梅松論』はごまかしているが、尊氏はひそかに全人類の総廟である皇祖皇太神宮別祖太神宮を始め全国に散在していた数百か所の分霊殿の存在をすべての公の記録から抹消し、人類の総廟があったことを日本人の記憶から拭い去ってしまったのである。
太古において人類は死ぬと一人残らず皇祖皇太神宮別祖太神宮の総廟に神として祭られることになっていたが、尊氏はその名残りまでも消し去って人間の魂の鎮まるべき場所を自分の野望のために抹殺してしまった。・・・・」
 
別の書を提示しよう。
『「超図解 竹内文書」、高坂和導著、1995年3月31日付、徳間書店刊、』の33頁以降である。
 
「・・・・・それが上古一代に富山に移り、上古十代・高皇産霊身光天皇(たかみむすびひかりすめらみこと)の御代には、元無極躰主王大御神(もとふみくらいのみのぬしのおおかみ)より歴代の天皇をはじめ、今上帝、皇后、皇子、皇族系を合祭し、本殿を改修している。そして「皇祖皇太神宮」と名を改称し、天皇家を祭る本家とし、同時に、同じ境内に五色人(日本人から分かれた五つの人種)九十八柱を祀り、「別祖皇太神宮」を創設して、世界平和と繁栄を祈る宮とした。・・・・・」
 
では、「神代の万国史」ではどう記載されているか。

その1
その2
その3


以上のとおりであって、つい700年前まで大和民族は人類を一人残らず神としてお祀り申し上げていたのである。
 
後醍醐天皇がこの祀りの本質を復活し維持しようとし、足利尊氏がそれを阻止し打ち砕いた。
これ以上の何の説明が必要であろうか。
 
 

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