3/22雑感:均衡とバランスはどこへ
見出し写真は東京メトロ銀座駅のB1出口付近に設置されている、大型の陶板レリーフ。大友克洋氏が原画と監修を手がけた『Procession Spin』という作品で、右側の縄文時代から始まり左側の未来へと続く大きなうねりが、人間が造ってきた美術品や構造物などで表現されているそう。
現実の世界が豹変していく。そのうねりを前にして、自分はただ慄然として立ち尽くしているような、そんな感覚がずっと消えないでいる。
3月19日に行なわれた『イラン攻撃許さない!高市政権から平和憲法を守り生かす3・19国会議員会館前行動』、私も隅っこのほうで少しの時間だけ立った。
駅に着いたときからもう混雑していて、女性用トイレには長い列ができていた。「ペンライトデモ」と言われるだけあって、参加者の手には思い思いのカラフルで可愛らしいライトがあった。周りを見渡すと20~30代くらいの若い人、それも女性が多いようだった。遠くから見てもライトの光がゆらゆらして、とてもきれいだった。
プラカードもそれぞれ個性が光っていて、中に「わさビーフくわせろ」とだけ書かれたものも見かけ、そのユーモアに思わずニヤリとしてしまった。
その日の参加者は、1万1千人と言われている。
翌日の3月20日、NHK『寅に翼スピンオフ『山田轟法律事務所』を観た。よねの叫びが、今の私の心に深く鋭く突き刺さった。
「怒りたくて怒っているんじゃない。世の中がどんどんクソになっていくからだ」
議員会館前で行なわれた抗議行動で見た、ゆらゆら揺れるたくさんの小さな光が目に浮かんだ。それぞれが思いを示そうとした、小さな光たち。
人の感情の表れを冷笑する光景が、もう珍しくなくなってしまった近ごろ。それでも自分の心も他人の心も、軽んじたくないなと思う。
kindleで購入し積読になっていた、イラン外相のアッバース・アラーグチー氏の書いた日本滞在記を読み始めた。
2008年から2011年まで駐日大使として日本で暮らしていたアラーグチー氏は、東日本大震災のときには被災した岩手県で自ら炊き出しを行なった人でもある。
本を読むと、日本に来る前に日本に関する論文に目を通していたらしく、彼の生真面目さが伝わってくる。やや日本を美化しているような点も目につくが(日本の政治は腐敗しにくいシステムになっているとか、日本人は教養が高いためにポピュリズムは受け入れられない等)、鋭い観察眼を持った外交官の日本評は興味深い。
人権などのテーマは、日本外交において、貿易上の利益を危険にさらすほどの大きな重要性はなく、回避できない場合のみ、人権決議において西側諸国に同調し、賛成票を投じる。あるいはシオニスト体制(イスラエル)とパレスチナの問題を巡っては、イスラム・アラブ諸国との極めて重要な経済関係に鑑み、均衡を保とうとする。シオニスト体制とは良い関係にはあるが、イスラム・アラブ諸国の怒りを買うほどまでに前へ進めようとはしない。ペルシャ湾岸地域やその他の地域においても、この軌道に沿って動いている。「均衡とバランス」は、可能な限り日本外交において最大の発言力を持つ。
アラーグチー氏が認めた日本の「均衡とバランス」、今やどこへ消えてしまったのだろう。
日本だけでなく世界全体が、「均衡とバランス」を見失ってしまったかのようだ。
この人為的な嵐がどのように収まるのか、私には想像もつかない。今後どのような形で影響が現れ、これまでの生活がどう変わっていくのかも。
多くの人の心に、消えない大きな傷跡が残ることは確かなように思う。
