本音でいることは、本当にいいことなの?
父との関係
もともと父との関係は薄かった。
厳しくて、怖い。それが父のイメージだった。
自営業をしていて帰りが遅かったから、雑談はほとんどなく、あるとしたら土日に父の肩揉みをしてお小遣いをもらうときにさらっとちょっと話すぐらい。
そんな距離感を保ちながら高1のときに両親が離婚したため、心の対話をした記憶がほぼ全くない。
でも大人になって、自分の気持ちと向き合うようになってこう思うようになった。
“父のことを理解したい。本音を知りたい。
納得のいく人生を生きてほしい。”
そんな思いで一昨年、還暦を迎えた父のお祝いで北海道へ旅した。
旅の中で、父のイメージが変わった。
雑談が楽しかった。
怖い印象があったので、一緒に笑えること、こんなに会話ができることが意外だった。
探り探りではあって、どこかぎこちなさも感じたけど、これまで知らない父のほんとうの姿(新たな一面)を見ることができて嬉しかった。
でも、旅のあと、父のある一面を知ってしまった。
正直、知りたくなかったと思った。
向き合うのが少しだけ怖くなって、疲れちゃう感じもして、一旦距離を置いた。
本音を知りたいと思って動いたけど、、
本音でいることは、本当にいいことなのだろうか。

ここで立ち止まって心に問いたい。
本音であることは本当にいいことなんだろうか。
本音がゆえに、大切な人を傷つけてしまうことはないだろうか。
そんな気持ちを抱えていた時、参加させていただいた読書会で、上記の話をした後に下記のように言ってもらった。
「それってただ父親の現実を知っただけじゃない?」
「とぅーくんが勝手に思っていた理想像と違っただけじゃない?」
本当にその通りだと思った。
そうだ。父親の現実をただ知っただけ。
そこからどう向き合うか、どう受け入れるか、どう寄り添うか、どうその人と向き合かに自分の人生が現れるんだと気づかせてもらった。
本音でいることは、綺麗なことばかりじゃない。
知りたくない現実を連れてくることもある。
現実はときにきつい。
正直、本音であることがいいか悪いかは分からない(もちろん状況や相手との関係性にもよる)けど、建前でつながった関係の先に、自分が理想とするつながり(本音で語り合える関係)がないことだけは分かっている。
それでも向き合いたい理由

楽な道ではなく、苦しい道。
それでも向き合いたいと思うのは、自分の軸である「とことんあったかい人でありたい」という思いがあるからだ。そして、僕にとって父親は唯一無二の大切な存在だからでもある。
僕の考える「とことんあったかい人」とは、自分と異なる価値観や考え方、捉え方を持つ人に対しても、あるいは人が避けたくなるような相手に対しても、決して蔑ろにせず、真剣に向き合い、受け入れようとする大きな器を持った人のことである。
過去の経験を通して、世間体や人の目を気にして、その気持ちから動いても満たされない、心から喜べないことに気づいた。
だからこそ自分の気持ちに本音でありたいと思う。でもそれだけではなくて、その先あるのは、大切な人と本音で心からつながりたい。そう思っているからこそ、諦めたくない。その第一歩が両親との向き合いである。
今後も少しずつ
自分なりに向き合っていこうと思う。
この記事が
本音で生きられておらず、
もがき苦しんでいる人
家族と向き合っている人の
後押しになったら嬉しいなぁ。
今回も読んでくださりありがとうございました!
それでは、Have a good night:)
