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子供のためのオルセー美術館(131)空をうつす運河の水/印象派の絵を最初に描いた画家シスレー

まれかわるパリで


シスレーの友達ともだち、マネやモネ、ルノワールは、あたらしくなったパリを、絵にきました。
大通りができて、むかし教会きょうかいや古い建物たてもののとなりに、あらたなアパルトマンの建物がつぎつぎとてられたのです。
都市とし生活せいかつは、にぎやかできらきらしていました。

そんなときシスレーは、仲間なかまたちとはちがいていました。
友達と距離きょりをおいたシスレー、どんな絵を描いていたのでしょう。


わらないそらと川

ここはサンマルタン運河うんが
きしには、はしけのふねがあって、石炭せきたん工場こうじょう使つか荷物にもつせています。

シスレーは、はなやかで活気かっきのある都会とかいではなくて、この昔と変わらない川をいていました。

お日様にらされたくもは、川にそのまま姿すがたをうつしてながれていきます。

川はみじか筆使ふでづかいで、くるっくるっとさかなのうろこのようです。

こうまでつづ川沿かわぞいのみち
建物たてものは、かたちをはっきりと正確せいかくに描くのが、いつものシスレー。

川辺かわべの木も人も、川にうつればゆらゆらとゆれてくろなみになりました。

ずっとこうの建物たてものは、工場こうじょうけむり青灰色あおはいいろにかすんで、川と同じ色になりました。


このとき、モネもルノワールも、まだこのかがやそらかわを描いていません。
シスレーはそんな早い時期に、自然の中の光りをいていたのです。
印象派いんしょうははじまる5年も前のことでした。


生涯景色しょうがいけしきを描き続けたシスレーは、最初さいしょから最後さいごまで、ただひとり、この印象派いんしょうはのスタイルをとおした、ぶれない画家がかでした。


Alfred Sisley
Vue du canal Saint-Martin 1870
Salon de 1870
アルフレッド・シスレー
サン・マルタン運河の眺め 1870  
サロン1870入選

1860年後半、シスレーの友人たちは、パリを新しい大通りのある広大で陽気な都市として描いた。新しい大通り、アパルトマン、万国博覧会のパビリオンは、ゴシック様式の教会や17世紀の建物などの隣に建ち、都市での生活は貧しく困難なものではなく豊かで刺激的なものとして描かれた。
1870年代には、橋や鉄道駅、オスマン大通りを絵画的に表現することで、変わりゆく都市に対するこのようなヴィジョンは発展していった。都市画において、シスレーは同時代の画家たちとは距離を置いていた。
彼は「現実」に焦点を当て、絵画の対極にあるような工業地帯の河岸を描いたのである。

wikipedia 

Alfred Sisley
Péniches sur le canal Saint-Martin 1870
Salon de 1870
アルフレッド・シスレー
サン・マルタン運河のはしけ 1870  個人蔵
サロン1870入選


お読みいただきありがとうございます。
シスレーは、印象派の活躍する5年も前にすでにこの印象派スタイルの光の絵を描いて、驚いたことにあの保守的なサロンで、この2枚の絵は入選を果たしています。
ピサロもモネもルノワールも、シスレーの実力をいつも認めていたのは、常にぶれずに自然の中に光を描き続けるシスレーだったからこそなのですね。
シスレーの知名度がもっとあがり、地味な景色でも驚くほどの美しい構図や色を多くの皆様に知っていただきたいと思っています。


参考 モネが、このシスレーの作品の5年後に描いた、はしけから石炭を陸に積む人々の絵

モネ 石炭荷揚げ人 1875