生と死の境界線
「これは亡くなった方の作品です」
一時帰国中、実家の隣町にある栃木県益子町の陶器販売店で小鉢を買った。会計時、店主が陶芸家の経歴をしるしたネームカードを取り出しながら、故人の作品であることを教えてくれた。
器は目の前にあるが、それを作った人はこの世にはいない。特段珍しいことではない気もするが、そのときは不思議な感覚を覚えた。
今回の一時帰国は、生と死について考える機会がたびたび訪れた。
スキー仲間との思い出
昨年、学生時代のスキー仲間が逝去した。LINEグループで、忘年会の日程調整をしても反応がないことが気になった。別の仲間が職場などに連絡し、亡くなったということが分かった。
一時帰国中に仲間同士で実家に線香をあげに行ったが、正直に言って現実感がなかった。2年前には春先に一緒にスキーをしたし、昨冬にも仲間内の結婚式で顔を合わせていた。
真面目で、周囲を見渡して行動することのできる「良い奴」だった。真顔だとクールだが、残っている写真はおどけた表情のものばかり。一緒にいて楽しい人でもあった。
「好意的ではない生」
日本で、ハン・ガン「すべての、白いものたちの」(河出書房新社)を手に取った。短い詩のような章が連なって構成されている小説で、偶然にも生と死について考えさせられる作品だった。
その中では、「生は誰に対しても特段に好意的ではない。」という文から始まる「みぞれ」という章が特に印象に残った。生きることの温かさと冷たさが、しっとりとした湿度を伴って胸に迫ってきた。
地続きの生と死
今までは生と死を明確に切り離して考えていたが、実際は地続きで非常にあいまいなものなのかもしれないと思うようになった。亡くなっても、陶器という物体は目の前にあるし、一緒にスキーを楽しんだ仲間の記憶や記録が消えるわけではない。
そう考えると、仲間の死という現実感のない出来事との距離感も、しっくりくる気がした。


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