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人を嫌いになる瞬間

「あの人のこういうところが嫌い」
「なんであんな振る舞いができるんだろう」

人間関係の中で、
他人にムッとしたり、
不快感を抱いたりする瞬間は誰にでもある。

人を嫌いになるかならないかって、
相手がどうあるかではなく、

自分自身の
「思考回路の練度」と
「俯瞰力」にあると思っている。


「粗探し」のプロ

以前の僕は、
他人の粗探しが超得意でした。
(なんなら今でも得意)

世の中を斜に構えて見て、
色んな人のことをたくさん嫌いになってきた。

自分の中に、

「これが正しい」
「こうあるべき」

という確固たる善悪の基準(マイルール)があったから。

そこからはみ出した人間を見つけては、
脳内で徹底的にジャッジし、批判することで、自分の正しさを証明しようとしていた。

というより、自分独自の尺度(自分に都合のいいルール)を作ることで、その世界観で考えると自分は良くてあいつは悪いと思うことで、自分の存在価値を保ってきたんだと思う。

現実を生きるのが厳しすぎて、そうでもしないと自分の存在を自分が許せなかったから。

いま振り返れば、こういった人の粗探しをする思考は、非常に自分自身を「不幸な現実」へと引きずり込む自傷行為だったと思う。

脳の罠

人間の脳には、自分が関心のある情報だけをピックアップする「RAS(毛様体賦活系)」というフィルター機能がある。

要は、人の脳はマイブームの情報ばかり拾うようにできてる。

一度、相手の嫌な部分にフォーカスして
「あの人は嫌な奴だ」と脳にオーダーを出してしまうと、脳は24時間体制でその証拠集めを始めてしまう。

挨拶の声が小さい、
お箸の持ち方が悪い、
LINEの返信が遅い……。

普段ならどうでもいい些細なことまで
「ほら、やっぱり嫌な奴だ!」と、脳が勝手に証拠として拾い集めてくる。

こうなると泥沼になって
収拾がつかなくなっていく。

「なぜ嫌なのか?」
「なんで不快に感じたのか?」
「それは本当に悪いことなのか?」

を俯瞰して見られないと、
脳の粗探しループは止まらない。

相手にフォーカスしているようで、
実は自分が勝手に作った「嫌いな人の証拠リスト」に自分自身が苦しめられることになる。

現実解

最近は、人にムッとすることがあっても、
そこに「善悪」を介入させなくなってきた。

もちろん人間だから、
他人の言動や行動に感情が揺れ動くこと自体は止められない。

ただ、その瞬間に

「あ、今自分は不快に思ったな」

と即座に自覚し、
そこで思考をストップさせる。

「これがこの人の性質(OS)なんだから、僕が変える必要もない。そして、そこに良いも悪いもない」

そう思えるようになってから、
人間関係が圧倒的に楽になった。

ちなみにこの記事を書いてるのも、
今日人に対してムッとすることがあって、
その自分の感情や相手の言動行動のバックグラウンドの理解に徹することができたからです。

人は、

「理解できないもの」
「意味がわからないもの」

にイライラしたりする。

だけど、これらはその出来事の原因や構造が理解できてると、感情の主導権をすぐに取り戻せる。

感情を自覚できたら、
まず自分にとっての「良い(正しさ)」に相手を付き合わせることを辞める。

かといって、不快なものを無理に好きになろうとするような、自分への無理もさせる必要がない。

良い意味で諦める


感情の動きを自覚すること。
そして、そこに「良い・悪い」のジャッジをしないこと。

これを繰り返していくと、
人間関係において「良い意味での諦め」がつくようになる。

諦めるとは、
ネガティブな放棄ではない。

相手を変えることはできないし、
自分のマイルールを押し付ける権利もないと自覚して、さっさと執着を手放すこと。

そもそも、相手にこうなって欲しいと思うその感情こそが執着でありエゴであると、さっさと認識した方がいい。

それから、
人の批判にエネルギーを使うことは、
コスパがあまりに合わなすぎる。

自分の思考の練度を高めて、
脳の主導権を自分に取り戻すこと。

それが、自分を無駄に消耗させず、
次のステージへ進化させるための最も現実的なアプローチな気がする。

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