「本能のまま」の心地よさの代償
こんにちは、「ずいえん」です。
本日も日々生活していて、気になったことを投稿します。
「NOPE ギルティ炭酸」の広告
サントリーの「NOPE ギルティ炭酸」という商品がヒットしているそうです。
「本能のままに生きるのが人間らしい」。そんなメッセージと共に、小さな「ギルティ(背徳感)」を肯定する広告が、忙しい現代人の心に響いているのかもしれません。
でも、「本能のままに生きる」ことは、本当に私たちを幸せにしてくれるのでしょうか。
独り暮らしでの甘え
私には、独身で一人暮らしが長かった頃を振り返り、ふと思うことがあります。
当時の私は、「少しくらい奔放でもいい」「少しくらい遅刻してもいい」「少しくらいならズルしてもよい」、「少しくらいなら…」と、自分を甘やかしてばかりいました。
一人暮らしは、誰にも咎められません。しかし、そうやって自分に許した「少しくらい」というマイルールが、いつの間にか積み重なり、人生の歩みに少しずつ、けれど決定的なズレを生んでいく。その怖さを、後になって実感しました。
今振り返って思うのは、何が誠実で、何が正しいのか。その基準を自分の中に持ち、人生を選び取ることの大切さです。自分の振る舞いが、他者の目にどう映るかを想像してみる。そうした視点を持つことで、私たちは大きな踏み外しをせずに済むのではないでしょうか。
中国の古典の一節
中国の古典『菜根譚(さいこんたん)』に、こんな一節があります。
「心伏(しんぷく)すれば、群魔(ぐんま)退く(しりぞく)」
「心伏すれば」とは、自分本位な気持ちを抑えること。「群魔退く」とは、人生の深刻なトラブルが消えていくことを意味します。つまり、自分勝手な振る舞いを手放せば、人生は自然と好転していくという教えです。
本能のままに動く快感も、時には必要かもしれません。けれど、自分の欲求を少しだけ横に置いて、他者を思いやる。その姿勢にこそ、その人の人間性や、真の美しさが宿るのではないかと私は思っています。
