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羨ましかったのは、その人じゃなく「土台」だった

友人でも、仕事仲間でも。
羨ましいなと思う人がいる。

でも今思うと、羨ましかったのは
その人本人ではなかった。

私から見たその人には、
人とのつながりがある。
仲間がいる。
自分で仕事をつくっている。
自分の思うことを形にしている。
帰る場所がある。
どうなっても自分の望む人生を進む力がある。
そんなのが、
その人の「土台」のように見えていた。

だから私は、その土台を羨ましいと思っていた。
でも、それはあくまで私から見えた景色だった。
本当にそれが、
その人の土台なのかは分からない。

そして気づいた。
私はずっと、
人や仕事を土台にしようとしてきた。

仕事を土台にすると、離れられなくなる。
どんなに苦しくても、
「生活のためだから」と我慢する。

人を土台にすると、我慢が始まる。
「これを失ったら生きていけない。」
そう思った瞬間から、
私は自分を後回しにしていた。

じゃあ、私は何を
土台にして生きていけばいいんだろう。

考えていて、一つだけ気づいたことがある。
私は、やめようとしても
観察することをやめられない。
人を見てしまう。
自分を見てしまう。
感情の奥を考えてしまう。
そして、それを味わったり表現したくなる。
これは努力ではない。
気づけば、いつもやっていることだ。

もしかすると、
私の土台はここにあるのかもしれない。
土台とは、誰かに支えてもらうことではなく、
何度でも戻ってこれる場所なのかもしれない。

観察して、
考えて、
言葉にすること。
今は、それが自分の土台なのではないかと
思っている。

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