明治神宮外苑のシンボル、壁画に見る幕末・明治の歴史/聖徳記念絵画館
都心の緑あふれるエリア、明治神宮外苑。その中心に位置する聖徳記念絵画館は良く知られている存在ですが、中に入ったことがある人は案外少ないのでは?? 中央がドームで左右がシンメトリーな外観。なんとなく国会議事堂に似ているという感じもします。議事堂と似た荘厳な外観ゆえ、入れないと思っている人も多そうですが、施設維持協力金として500円払えば誰でも入ることができます。
明治神宮外苑は、明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご聖徳を永く後世に伝えるために、全国国民からの寄付金と献木、青年団による勤労奉仕により、旧青山練兵場跡に造成されました。庭園内には聖徳記念絵画館、憲法記念館などの記念建造物のほか、陸上競技場・神宮球場・相撲場・水泳場などが整備され、1926(大正15)年10月に明治神宮に奉納されました。
絵画館には、明治天皇のご生誕から崩御までの出来事に関し、画題の年代順に前半は日本画40点、後半は洋画40点が展示されています。14歳で即位された明治天皇は、大政奉還後に京都から江戸城に入り46年間在位されました。崩御後は京都・伏見の桃山御陵に葬られましたが、この絵画館は東京でのメモリアル施設という意味合いもあり、2011(平成23)年には明治神宮の宝物殿とともに国の重要文化財に指定されています。
改めて神宮外苑の地図を見ると、外苑全体が絵画館を中心に計画されていることがわかります。イチョウ並木の延長線上に絵画館が見え、外苑の中でも地形的に高い場所に建設されました。また、イチョウ並木は青山通り側の樹高が高く、絵画館側が低く整えられ、遠近法によって絵画館が遠くに大きく見える様に計画されています。
展示室は天井が高く2重の天窓からは柔らかな自然光が降り注ぎます。縦3m×横2.7mという大型の絵画はホコリをかぶらないようにやや前傾した形で展示。様々な画題を描いた全80作品にはそれぞれ奉納者がいて、画家には約1万円の報酬が支払われたそうです。現在の貨幣価値にすると数千万円だとか。
気になった作品だけ備忘録的に・・・
【日本画5・大政奉還】徳川慶喜が「もう政治やめる」と宣言した図。ここから世の中は維新に向かいます。教科書でもおなじみの絵。
【日本画13・江戸開城談判】倒幕側の西郷どんと、旧幕府側の統領・勝海舟による無血開城の談判の図。
【日本画21・岩倉大使欧米派遣】黒煙を吐く渡し船に乗るのが岩倉卿。右手2隻目には、昨年5000円札デビューした津田梅子の姿も。
【日本画28・富岡製糸場行啓】昭憲皇太后と御付きの女官の図。和装束なのに靴を履いています。軍服で一足先に洋装化した男性に続いて、女性の洋装化が垣間見えます。
【日本画31・徳川邸行幸】銀座木村屋が献上した餡パンを陛下が初めて口にされました。花見にあわせて奈良の吉野山から、わざわざ八重桜の塩漬けを取り寄せたのだとか。木村屋の餡パンには今でも桜がのっていますが起源はこれ。
【日本画37・西南役熊本籠城】絵画を奉納しているのは、細川護熙元首相のお爺さん。護熙氏は現在、熊本で陶芸家をやっているそうです。芸術家肌は血筋かも。
【洋画47・岩倉邸行幸】臨終間際の岩倉卿を見舞う明治天皇の図。1883(明治16)年7月19日。この翌日、岩倉具視は57年の生涯を閉じます。癌でした。
【洋画51・憲法発布式】まるでナポレオンの戴冠式を描いたダヴィッドのような威風堂々たる大作。
【洋画70・日露役奉天戦】東京美術学校卒の主流とは違い、専門教育を受けていない作家による作品とは思えない人物の表情の巧みな表現。驚きです!!
【洋画74・凱旋観兵式】1906(明治39)年4月30日。青山練兵場(現・神宮外苑)を視察する明治天皇の図。若き日の陛下と違い、晩年はかなりの恰幅。清酒とワインが大好きで、加えて大の甘党だったのだとか。
【洋画78・東京帝国大学行幸】1912(明治45)年7月11日の東大卒業式に参列した図。この頃、天皇陛下の体調は既にかなり悪かったのだとか。そして、1912(明治45)年7月30日、陛下は崩御。45年は長いようで短い。明治は日本を180度変えました。
【洋画80・大喪】死因は糖尿病からくる尿毒症。享年59歳。かつて見舞った岩倉卿と変わらぬ短い一生でした。
知識を世界に求め、旧弊を退け、近代化への大きな飛躍を成し遂げた明治の時代。幕末から明治に興味のある方、明治天皇とその皇后である昭憲皇太后をもっと知りたい方、近代建築に興味のある方などなどにお勧めです。が、令和7年4月1日から令和9年5月末まで、耐震補強及び保存修理工事のため休館中です。2年後に是非・・・














2025.02
