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ジングルベルのレジの列で、私はレイテ島と『永遠の0』を想う

クリスマスのレジに流れるジングルベルを聞きながら、
私はふと、若いころに訪れたレイテ島の静けさを思い出していた。
その帰り道、積読だった『永遠の0』を、なぜか手に取った。



クリスマスが近づくと、私は家族へのプレゼントを買う。
特別な理由があるわけではない。
ただ、毎年そうしてきたからだ。

レジの前では、ジングルベルのBGMと、
バーコードを読み取る電子音が途切れなく響いている。

その喧騒の中で、
ふと、若いころに訪れたレイテ島の静けさがよみがえる。

風の音だけが聞こえる、
あの乾いた午後の空気。


12月25日という日付

12月25日。
この日は、日本軍がレイテ島で
**「組織的抵抗の終結」**を宣言した日でもある。

平和な行事と、あの島の重い歴史。
その落差が、毎年のように胸のどこかを静かに揺らす。


レイテ島という場所の重さ

12月のフィリピンでは、

  • 巨大な海戦

  • 特攻の始まり

  • 逃げ場のない地上戦

この三つが、同時に進んでいた。

日本の戦史の中でも、
これほど多層的な悲劇が重なった場所は多くない。

だからだろうか。
クリスマスの喧騒の中で、私はいつもあの島を思い出す。




積読の山から『永遠の0』を手に取った理由

そんな気分のまま、
ずっと崩せずにいた積読本に手を伸ばした。

取り出したのは、
**永遠の0**だった。

正直に言えば、私はこの作品を
「特攻をセンチメンタルに描いた物語」
だと思い込み、どこか距離を置いていた。

けれど、読み進めるうちに見えてきたのは、
特攻そのものではなく、そこにある**「純粋さ」**だった。

そして不思議なことに、
私の頭に浮かんできたのは、
日露戦争の英雄、**乃木希典**の姿だった。

(夏目漱石『こころ』で、
先生が自死に至る引き金となった、あの将軍である。)


時代も立場も違うのに、似ている二人

明治の陸軍大将と、
太平洋戦争末期の零戦搭乗員、
宮部久蔵

時代も階級も、戦場も、まったく違う。

それでも、
「純粋さ」というフィルターを通すと、
二人の心の動きは驚くほど似て見えてくる。


生き残ってしまった者の罪悪感

二人を突き動かしていたのは、
英雄的な野心ではない。

それは、
「生かされていること」への耐えがたい罪悪感だった。

乃木は軍旗紛失と旅順での膨大な死を、
宮部は教え子たちの特攻を、
それぞれ自分の責任として抱え込んでしまった。

周囲からは英雄と見なされながら、
内側では
「自分だけが生きているのは不条理だ」
という思いに沈んでいた。


「死に場所」を探すということ

二人は、ただ死にたかったわけではない。

どこで、どう死ねば、
他者の命に落とし前がつくのか。

その答えを探していた。

乃木は何度も自決を試みながら制止され、
「死ぬことを許されない時間」を生きた。
そして天皇崩御の瞬間に、
ようやく自分の死に場所を見つけた。

宮部は合理主義者だった。
だからこそ、最後に特攻を選んだのは自暴自棄ではない。

自分が死ぬことで、
一人でも若者を生かす。
その命を未来へ託す。
彼なりの決着だった。


純粋すぎる誠実さは、ときに狂気に見える

時代や組織は、人に
「仕方がない」という納得を求める。

だが二人は、
その納得を受け入れられなかった。

乃木の殉死は、当時ですら古いと批判された。
宮部の特攻も、合理主義者が選ぶには、
あまりに非合理だった。

それでも二人にとっては、
曖昧にしないための、最後の誠実さだったのだと思う。


救えなかった良心の話

二人の共通点は、

組織や時代では救えない個人の良心を、
自分の命で守ろうとした

という点にある。

乃木は「忠義」という言葉を借り、
宮部は「家族への愛」という言葉を借りた。

けれど、その中身は同じだ。

あまりにも重い他者の命を、
最後まで引き受けてしまった男たちの物語。


レジの音が、また鳴る。

その小さな電子音の向こうに、
静かに積み重なった
**「純粋すぎた魂」**の気配が、確かにある。

そして私は思う。

私が今、家族にプレゼントを買えるのは、
彼らが命を賭して守ろうとした
「未来」の中に、私が立っているからかもしれない。


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