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わたしはどこから来て 何処へいくのか。

11月某日 思ったより暖かい日。午前中、花梨酒を仕込む。花梨の木があって、そこは梅の木と柿の木と栗の木があって花梨も一本紛れている。今まではほとんど放置状態だったので、だいたい気がつくと誰かに(通りすがりの人たち?)状態のよい実を持ち去られていて、私が拾う時は傷んだ実が多かった。しかし今年は、そこに、コンテナハウス(地震からの営業再開のための仮事務所兼倉庫)が設置されたため、さすがに入りにくいのだろう、おおくの良い実が残されていた。おー、我が庭! ここは、「庭」になり得る場所かも。

もうなんかいろいろ疲れがピークに達して一週間、現場(被災した自宅)を離れていた。金沢で出来うる限り信頼できる人たちに会ったり、電話したり、相談したりして、安心できる居場所もキープして、県立図書館もフル活用させていただき、今またタイヤ交換とか冬支度のために戻ってきた。「ゆず茶」も作った。ちゃんとレシピを調べた。私にしては珍しく。

奥能登は冬を前に今日は貴重な晴れ間に救われている。
ここは現在の秘境かもしれない。立派な人類学的観察地に値する。
価値観は、明らかに、都市部とは異なる。そこが、住宅再建のための資本主義的価格競争の食い物にされている。家が建たない、建てられない。たとえ今見積もりをもらえたとしても、それが完成するまで数年(3〜5?)かかると言われる、順番待ちリストに入れてもらえただけラッキー。但し、建築価格はまだ上昇が予想されるので、実際着工する時のお値段は予想通りにはいかないでしょう、と言われる。補助金も出るでしょうから、大丈夫ですよ、と言われましても..。勢い公費解体をして後悔している人も少なからずいるらしい。タダより高いものはないのです。贈与と交換は経済の始まり。無償や施しはドロボウよりタチが悪いこともある。

盗んででも手に入れたいのがほんとうに欲しい絵、と言ったのは美術評論家の洲之内某だったと思うが、この言葉も脳内イメージ再生だから(出典にあたっていないから)順序や言葉が違っているかもしれない。絵、ではないのだ。生存のために必要な、「家」なのだ。ハイデガーは、現存在は世界に住まう存在と定義したように思うが、奥能登にいる少なからずの人たちは今、ギリギリのところで世界の隅っこに引っかかっているような状態だ。もちろん、知恵と郷土愛と近隣同士の助けにより、生きていることだろう。しかし、こわれた家の壊れた場所からは「存在そのもの」が漏れ出し、存在者の精神を危うくする。勤め先や、定期的に通える場所がある人は幸いだ。真摯に話を聞いてくれる人がいるならまだ救いはある。自然の力、野生味があることが半島先端部の醍醐味ではあるが、時々県庁所在地などにいくとかえってたまらない。なぜここでは人は、24時間にわたって開いている店もあり、夜9時まで買い物できるスーパーもあり、100円ショップで安く多くのものを仕入れられ、晩御飯を作りたくないと思ったら、手頃な価格で外食もできるのに私たちにはそれが叶わないのか。元気なのはドラッグストアだけ。必要最低なものは手に入るかもしれない、しかし、遊び心は鼓舞されない。。

しかし先日、珠洲にある某珈琲店の店前駐車スペースで、休日だったがイベントが開催された。金沢にある雑貨屋さんカフェの店主さんが、某アーツカウンシルの助成も活用して、遊び心満載の雑貨と、ライブ演奏と、ワンプレートランチ(カレーでした、でも美味!)を提供する近隣のお店とキッチンカーのスイーツShopも参加して楽しい時間を過ごすことが出来た。あまり人が集まりすぎないのがいい、適度にお天気にも恵まれ、まあこのイベントがあるのがわかっていたから、かえってくるきっかけになった。
そしてまたわたしは明日、出かけなければならない。
全てのことを置き去りにして。蔑ろにして。タイヤだけ交換した業務用車両に乗って。

わたしは何処に行きたいのだろう。もう頭で考えても答えは出ない。
なるようにしかならない。
ケララ ケラケラ ケセラセラ。今日、田んぼの隣の空き地にキジ(雉)が二羽、やってきた。白鳥ではなかった。雉だった。煩く鳴かないでいてくれることを、願う。どうかこの冬が暖冬でありますように。。。


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