何もできない、からの脱皮が急がれる。
1月某日 親戚(姪っ子)の冠婚で関東地方に飛ぶ。行きは良い良い、帰りは怖い。予約した帰りの便が飛ぶ日は、大荒れの天気。搭乗チェックインの時から、キャンセルや変更可能対象だと言われる。その時は決められない。とにかく今は、行くために飛ぶ。もう行けないだろうと思っていた。行く気にならない。準備もできない。ーいや、たったの二泊だ、ホテルも予約できている、披露宴に出席するための洋服と靴と最低限の下着とネックレスさえあれば何でも買えば良いじゃないか。とにかく行くのだ。車で飛行機場まで。駐車場無料だし。たとえ帰りに飛行機使えなくても、何とでもなる。
そして行ってきた。帰りは新幹線…電車に乗りたいキブンだった。強風でその日の対象飛行機は飛ばないそうだ。昨日のうちにキャンセルしておいて良かった。良い気分転換にはなった。美味しい料理だった。久しぶりに姉妹に会えた。もう実家で顔をあわす機会も激減した。だから何かちょっと動き出すきっかけにはなるかもしれない。悩んでいる暇はない。毎日の小さな積み重ね、それが人生だ。いきなり大きな山に登ろうとしても出来ないのだ。心配事はきりがない。今朝も地震、家の屋根や壁が飛んだら? 閉じこめられたら? 滑って転んだら? また地震が来てこの家がつぶれたら?
それでも古代からいまに至るまで、屍累累の歴史の上をわたしたちは歩いて来たのだ。考えることを手放してはいけない。流れをよく見極めなければいけない。もう少し人を信じてみてもいいかもしれない。本当に二年間滞っていた思いをもう少し自由に解き放ち、やりたくない時はダラダラする、ぼんやりする、テレビみる、昼寝する、ご飯作って食べる、歯磨きする、そんなことから幼稚園児のようにやり直していこうじゃないか。
そして本日も夕方だ。タイムリミットまであと何分?
太平洋側と、日本海側の文化の溝は深いなぁと思うこの頃のお天気。
