それでも日常は続いていく。
選挙が推し活になった。
それでいいひとが多いならそれでもいいのかもしれない。
多数決は民主主義の裁き方の一つだが、考え方の積み上げの上に載っているものだと思っていた。しかし、どうも、コスパタイパの亜種の様相。
m#日経COMEMO #NIKKEI
日経デジタルの会員にならないとこの記事は読めないかもしれないけど、わたしには今回の選挙の本質をついた批評として読んだ。もう保守対リベラルとかいう対立軸ですらない。いつの間にか朝日新聞や赤旗新聞を読む人は左派であって異分子という構図が特に若い世代を中心に浸透してきたような気もする。長いものに巻かれたほうが楽だし、もらえるお金はもらっておいたほうがいい。できて当然、できないのは甘えか、本人の努力の足りなさになった。戦争も地震も世界中で起きている、だからいつまでも甘えてるんじゃないよ、という厳しい声が耳元で聞こえる。
あるSNSプラットフォームにもう入れないかもしれない。ちょっと昔のリンクからアクセスしたら不正アクセスを疑われて。結局は広告収入が目的だったのか、投稿した友達登録した人全員に告知されるわけでもなさそうだ、同じような考え、もしくは似たような記事への反応、むこうがどれくらいこちらの投稿に関心を示すかなど、関数が常に変わっていく。反論にも弱い、政治と野球の話を初対面の人とするな、と昔言われたような気もするが、顔も知らない人のまえでどうどうと選挙の話ができる場所だと思っていたが、どうもそうではないようだった。というか、議論にならない。こちらも理論武装の方法を知らない。。丸裸だった。
何を書いてもいいということは、投稿を読んだ人も同じ理屈が通るということで、もちろんそれが健全な会話であり対話なのだが、世間はとっくにポエジーな世界では無くなっていた。とてもリアルに、怖い場所になっていた。二ヶ月間ほど、自分を思いっきり甘やかした。テレビや録画ドラマ見たいだけ見て、するべき仕事も整理整頓も後回しで、ただ目の前にある雑用と家事と犬の散歩を愚直に繰り返して来た。12月は魔境だった。一月は厳冬期。オクノトノフユ、ジゴク。私も熊本に行きたい。フユ、暖かいところ。
それでも、お腹いっぱいご飯が食べられて、焼き芋をstoveのうえで作ることができて、買い物にも行けて、ネットも使えて、図書館で本も借りられて。
ともかく、何が言いたいかと言いますと、これからFBのメッセンジャー経由では連絡が取りにくくなるかもしれません、ということです。わからないことがわかっていないと、わからないことは分かりません。この論理で解釈すると「いらないもの、捨てたいものがわかっていないと、捨てものは分かりません。。」。
もう一度真摯に、自分の内面と、言葉を使って書くことに向き合ってみたいと思います。
