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盛岡三大麺と、百六杯の記憶

2005年ごろのことだったと思う。
4月のはじめ、20代の私は仕事で盛岡に行くことになった。
少し難しい仕事で、道中ずっと緊張していたのを覚えている。

仙台空港に降り立った。
ここから新幹線に乗るため、まずは仙台駅まで行かなければならない。
当時、仙台空港から仙台駅へ向かうには、まだ鉄道ではなくバスを使った。今では仙台空港アクセス線があるが、当時はまだ開業前だった。私はリムジンバスで仙台駅へ向かった。
仙台は大きな街だった。
ビルが立ち並ぶ市街地を走りながら、窓の外を眺めていた。
駅へ向かう途中、青葉山の方角に目が行った。
あの上に仙台城、いわゆる青葉城があるのかと思った。
崖の上に築かれた、いかにも堅牢そうな城だった。
緑が多い街でもあった。歌に聴く通り、仙台は杜の都なのだと思った。

仙台駅から東北新幹線「はやて」に乗り、盛岡へ向かう。
当時の東北新幹線は、すでに盛岡を越えて八戸まで延びていた。
いま思えば、まだ新青森まではつながっていない時代だった。
仙台から盛岡へ向かう車内で、私は「東北の奥へ入っていく」という感覚を味わっていた。

新幹線の車窓は、私には少し不思議だった。
岩手県に入ると、景色の雰囲気が変わった。
普段見慣れている西日本の風景とは、空の広さも、山の見え方も、田畑の広がり方も違っていた。
同じ日本を走っているはずなのに、初めて見る土地に入り込んだような感覚があった。
少なくとも車窓からは、家がほとんど見えない区間もあった。
「三日月の丸くなるまで南部領」
その広さが、妙に記憶に残っている。

盛岡駅のホームに降り立った。
乗ってきた列車は、八戸行きだったのかもしれない。
ホームでは、秋田方面へ向かう列車の案内が流れていたように思う。
秋田県は、当時の私にとって未開の土地だった。
秋田新幹線こまち。いつか乗ってみたいと思った。
実はこの次に盛岡を訪れる際、私は東京からこまちに乗って盛岡へ向かうことになる。
旅の記憶は、こういうところで妙につながる。
駅を出る前に、少し駅ビルを歩いた。
当時、駅ビルには書店が入っていた。
雰囲気のよい店で、文庫本を一冊買ったような記憶がある。
最近、その書店で働いていた方が書いた本を読んだ。
盛岡の本屋を舞台にした、書店員の仕事論であり、地方の本屋の生き残り論であり、かなり強めの人生記録でもある本だった。
あの本屋の客の一人に、かつての自分がいたのかもしれない。
そう思うと、胸が少し熱くなった。

駅を出ると、空気がまったく違うことに驚いた。
4月のはじめだというのに、季節はまだ冬の香りを残していた。
夕暮れが近い時間帯だった。
天気は良かったが、少し肌寒かった。
ホテルへ向かう途中、開運橋を渡った。
盛岡駅と街をつなぐ、北上川に架かる白い橋である。
私はその橋の上で、岩手山の方を見た。
開運橋から岩手山を見ると出世する。
そんな話を、どこかで聞いていたからだ。
20代の私は、仕事で緊張していた。
出世という言葉に、どこまで本気だったのかは分からない。
けれど、知らない街で、知らない山を見上げると、少し背筋が伸びた。
北上川の向こうに見える岩手山は、私が普段見ている山とは違っていた。
大きく、静かで、こちらを試しているようでもあった。

盛岡には何泊かして仕事をしたと思う。
仕事先で、協力会社の方が盛岡のことをいろいろ教えてくれた。
「盛岡には三大麺があるんですよ」
そう言われた。
三大麺。その響きが、まずいい。
冷麺。じゃじゃ麺。わんこそば。
私はそのとき、盛岡にそんな食文化があることをよく知らなかった。
恥ずかしながら、盛岡冷麺くらいは聞いたことがあったかもしれないが、じゃじゃ麺やわんこそばまで含めて「三大麺」と呼ばれていることは知らなかった。
仕事で来た街だった。
しかも、少し緊張する仕事だった。
けれど、地元の人からそんな話を聞くと、急に街との距離が近くなる。
駅前の景色も、ホテルまでの道も、開運橋から見た岩手山も、ただの出張先ではなくなっていく。
せっかく盛岡まで来たのだ。
どれか一つくらいは食べて帰りたい。
そう思った。

昼休み、仕事先の近くに焼肉屋があるということで、協力会社の方に連れて行ってもらった。
店の名前は「ぴょんぴょん舎」。
盛岡冷麺で有名な、焼肉と冷麺の店だった。
ランチメニューに焼肉と冷麺のセットがあったので、それを頼んだ。
あわせてキムチも注文した。
冷麺には、キムチを入れて辛みを足すといい。
そう教えてもらった。
初めて食べた盛岡冷麺は、それまで私が知っていた冷麺とはまったく違っていた。
コシの強い麺。
さっぱりしているのに、うま味のある牛骨スープ。
冷たいのに、どこか力強い。
一口食べて、盛岡冷麺の魅力に取りつかれてしまった。
別に頼んだキムチも、しっかり辛かった。
その辛みが、冷麺のいいアクセントになった。
焼肉を食べ、冷麺をすすり、キムチで味を変える。
昼休みの食事のはずなのに、私にとっては、盛岡という街に少し踏み込んだような時間だった。

その日の夕食は、じゃじゃ麺のおいしい店があるということで、協力会社の方に連れて行ってもらった。
盛岡城跡の近く。
大衆的な居酒屋が集まる一角にある「白龍(パイロン)」という店だった。
店に着いたときには、行列ができていたと思う。
盛岡でも人気の店らしかった。
うどんのような麺に、肉味噌がのる。
薬味として、おろしたニンニクやショウガがついてきた。
初めて食べる料理だった。
そして、食べ方が面白かった。
肉味噌を絡めた麺を食べた後は、その皿をいったん店の人に渡す。
するとスープが入れられて、皿が返される。
さらに、皿のスープに卵を割り入れる。
一度で二度おいしい料理。
得した気分になるのが、盛岡のじゃじゃ麺だった。

出張の最終日。
難しい仕事のめどがつき、ランチは奮発した。
先日行った「ぴょんぴょん舎」で、冷麺と石焼ビビンバを頼んで食べた。
ハーフサイズもあったが、普通に一人前をそれぞれ頼んだ。
明らかに量が多かったが、若かったのだろう。
今では考えられないが、何とか平らげた。

その日は案件も無事に終わり、慰労会となった。
盛岡三大麺のうち、「じゃじゃ麺」と「冷麺」は食べた。
残るは、わんこそばだ。

わんこそばといえば、東家が有名だという。
記憶では、盛岡駅の近くにある店へ行った。
おそらく、東家の駅前店だったのだと思う。
テレビでは見たことがあったが、実際にはどんなものなのか分からずにいた。
そんな私に、協力会社の方が食べ方を教えてくれた。
そばは噛むより、飲み込むように食べるとよい。
百杯以上食べると、記念に杯数を書いた証明手形がもらえる。
そして、終わるときにはギブアップの合図が必要だという。
入店し、座敷に案内され、店の人から説明を受ける。
わんこそばは、十五杯でだいたい普通のそば一杯分だという。
最初は、それなら何とかなると思っていた。
次々と椀にそばが入れられていく。
こちらは食べる。
また入る。
また食べる。
最初は面白い。
だんだん苦しくなる。
それでも、どこか笑ってしまう。
盛岡に来なければ、たぶんわざわざ挑戦することはなかった。
そういう意味で、わんこそばは旅先で食べるべき料理なのだと思う。
昼に食べすぎたことを後悔したが、後の祭り。
結果は百六杯。
普通のそばに換算すると、七人前ほどになるらしい。
若かった。
胃袋にも、まだ妙な勢いがあった。
盛岡で食べたわんこそばは、味の記憶というより、体験の記憶として残っている。
あれは食事であり、祭りであり、少しだけ修行でもあった。
無事に「106」と書かれた証明手形がもらえた。

今でもその証明手形は我が家にある。
そこに書かれた「106」という数字を見るたびに、私はあの盛岡の旅を思い出す。
難しい仕事で緊張しながら向かったこと。
仙台から新幹線で北へ進んだこと。
開運橋から岩手山を見上げたこと。
協力会社の方に連れられて、冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばを食べたこと。
盛岡は、私にとって最初は仕事で訪れた街だった。
けれど帰るころには、少し違っていた。
知らない街は、ただ歩いただけではなかなか近づいてこない。
けれど、その土地の人に教えてもらい、その土地のものを食べると、急に距離が縮まることがある。
私にとって盛岡は、そういう街だった。
空気の冷たさ。
岩手山の大きさ。
冷麺のコシ。
じゃじゃ麺の不思議な楽しさ。
そして、わんこそば百六杯。

あれからずいぶん時間が経った。
もう同じようには食べられないと思う。
冷麺と石焼ビビンバを一人前ずつ食べたあとに、わんこそばへ向かうなど、今なら作戦会議の段階で却下である。
それでも、あのときの自分の胃袋には、若さと勢いがあった。
そして盛岡という街には、その勢いを受け止めてくれるだけの懐の深さがあった。
盛岡三大麺。それは、私にとってただの名物料理ではない。
二十代の私が、仕事の緊張の中で出会った、北の街の記憶である。

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