「在る」を「無い」にしてはならない
とある宇宙空間で数億年をかけて少しずつ「在る」ができていった・・・

その間、たまたまなのか、惑星や熱や爆発なんかともぶつかることはなかった。
原子核1個分の「在る」ができた頃、そこに「必要性」が与えられた。
それは外部からの指令のようなものでもであり、内側から湧き出るようなものでもあった。
そのどこからともなく与えられた、言葉という形ももたない「必要性」の内容はどうやらこのようなものだ。
「在る」を「無い」にしてはならない。
その「方向性」のようなものは、とても強くその一つの「在る」に馴染んでいった。
「在る」を示す意識が、とある感覚を形成していった。
今の言葉でいう「自分」
やがて、「在る」は分かれることができるようになった

分かれた両方が「自分」なのか、どちらか1個の「在る」だけが「自分」なのかはわからなかった。
だけど分かれることも「必要性」で、それは「無い」を避ける「必要性」と同じ大きさだった。
いつのまにか周囲は水だった。

「自分」の「在る」は変化していき、やがて「体」になった。それが「無い」にならないために「酸素」が必要だった。

「体」の変化に伴い、次々と新しい「必要性」が追加された。

「塩」、「鉄」、「炭素」・・・・
「必要性」のために「必要なもの」は全部最初からあった。

「必要なもの」がないところに「必要性」はなかった。
「必要性」を満たすために「受け取る」をした。

「必要性」を満たさないとそれは「恐怖」になった。
これが、強く響くのだ。
「在る」を「無い」にしてはならない。
「自分」の「在る」は数えきれないほど分かれて、とてもたくさんになった。

数えきれないほどの「在る」全部に、それぞれの1個を示す「自分」があって、全部を示す1個の「自分」もあった。
だんだん「自分」も「在る」もわからくなり、ただ「体」が「受け取る」をするだけになった。
「恐怖」にならないために・・・
「体」は永遠ではなくなった。

「必要性」に対する「受け取る」を怠らずやっていたとしても、「在る」が「無い」になることは避けられなくなった。
避けられないが、「無い」になるその瞬間まで、在りつづける宿命を負った
「体」が「無い」にならないための「必要なもの」を「受け取る」「必要性」は数えきれなくなったが、その全部に「手段」があって「手段」の数だけ「思考」ができた。
それらは複雑になっていった。
他の個体の「体」を「受け取る」種類もあれば、太陽の光と養分だけを「受け取る」種類もあった。

「必要なもの」を「受け取る」ことができないときの、「体」が「無い」になるかもしれない「恐怖」は「苦しみ」になった。
「必要なもの」を「受け取る」ことができて「苦しみ」が消えるとき、かわりに「喜び」を感じるようになった。
「体」は2種類になった。そのかわりに「体」はわかれることができなくなった。
「増える」という「必要性」はその形を変えていった。これをするための別の種類の「体」を受け取る「必要性」が追加された。

それは「受け取る」ようでもあり、「つかまえる」ようでもあった。
「増える」は「産む」という形になった。
「在る」を「無い」にしてはならない。
「在る」を「無い」にしないために
「必要なもの」を「受け取る」ことができるよう、ある種は大きく長く、強く、早く、高く、熱くなっていった。
そしてある種は小さく短く、目立たず、動かなくなっていった。
この指令の「必要性」は、とてもとてもたくさんの種類の「在る」をつくり・・・
もともと1つだった「存在」を繫栄させた

「必要なもの」を「受け取る」「手段」の種類は無限の拡がりとなったが
どれほどその種類が増えても、その「必要性」に対する「必要なもの」は必ずそこにあった。

手段の多様性は、(「在る」を「無い」にしてはならない。)以外の目的のために行動する「自由」を生んだ。

やがて、多様な意識はついに(「在る」を「無い」にしてはならない)を覆い尽くすほど高圧になった。

(「在る」を「無い」にしてはならない)から、解き放たれ、「自由」となったが・・・
その「自由」のためだけの意識は、その「自由」を死守するために「不自由」になった
しかし・・・
どれだけ多様な手段があっても、どれほどの「自由」があっても、どれほどの「不自由」を感じても
「在る」は何も変わっていない
「在る」は「在る」のまま
だから不自由に苦しむときは、「在る」を思い出す

「必要性」のために「必要なもの」はすべてそこにある

