【アマノ文筆クラブ】ショートショート『これだけですよ』
QRコードでスマホ決済が出来るようになった頃、時代に乗り遅れぎみの俺もついにスマホを手に入れた。
周囲はとっくにスマホに乗り換えているが、そんな俺でも自慢できる相手がいるのだ。
昭和の長屋が連なる路地裏のような雰囲気の新宿ゴールデン街。
急な階段を登った先に、そのバーはあった。
カウンターの向こうには、この街で長く店を構えるママがいる。年齢は六十代後半といったところか。
「僕なんかね、これだけですよ」
昔流行ったフレーズを口真似しながら、俺はスマホを水戸黄門の印籠のようにママの前に突き出した。
昨日、会社の部下から仕入れたばかりの受け売り知識を総動員して、俺は鼻高々に語る。
「これひとつあればね、なんでもできるんだよ。電話もできるし、買い物だって財布がいらない。ニュースも読めるし、動画だって見られるんだよ」
「あら、ずいぶん大きな画面ね」
得意げに語る俺を、ママは感心したように見つめていた。
一ヶ月後。
開店直後の早い時間、店には俺とママの二人しかいなかった。
カウンター越しに、ママが水割りを差し出してくれる
「サンキュー。そういえば、ターさん、元気にしてるかな?」
ママはにやりと笑う。
「ちょっと電話してみようか」
そう言って、バッグからスマホを取り出した。
「おお、もうガラケーじゃねぇんだ」
「失礼ねぇ。あの後すぐにスマホを買って、今じゃ使いこなしてるんだから」
ふふん、と鼻を鳴らす。
「じゃあ、ママもついに『これだけですよ』か」
「こっちの方が、画面が大きくって字が見やすいし便利だわ」
しかし、次の瞬間、彼女は俺の予想の斜め上をいく行動に出た。
おもむろにバッグから、使い込まれたアドレス帳を取り出したのである。
えっ!? なぜ……アドレス帳を?
「えーと……タ行、タ行……あった、あった」
手帳をじっと見つめながら、ママはタッチパネルに電話番号を一本指でポチポチと手打ちし始めた。
スマホの電話帳……使わねえんだ。
手のひらの中のコンピューター、多機能、好きなアプリを入れればワープロやゲームにもなる。
だが、そんなもの目じゃない。
スマホはただの電話機。「これだけですよ」と割り切って、電話としてだけ使う潔さ。
負けた。
ある意味、スゲーよ。
俺は謎の敗北感に浸りながら、楽しそうに電話でターさんと話をするママを黙って見つめていた。
了
あとがき
信じられないかも知れませんが、紙のアドレス帳見ながら電話する人は実在するんですよ。いや、私の認識が甘くて、結構いるのかも知れませんね。「俺もアドレス帳は、手書きだよ」という方、ぜひコメントからご連絡ください。
こちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございました。
