【アマノ文筆クラブ】ショートショート『したたかに笑って』
白い空間で、死んだ男は女神の前に立っていた。
「これからお前は異世界へ転生する。その前に、望みを一つ叶えましょう」
「どんな望みでも? 女神様、その言葉にウソはないですか?」
「もちろんじゃ! 勇者として無双してもいいし、のんびり農家をしてもよいぞ」
その約束を聞いた瞬間、男はゲスな本性を剥き出しにして、ニンマリと笑った。
「おっぱい、おっぱい百個! とにかく異世界でおっぱい触り放題! ドでかおっぱいハーレム! 他に何も要らない。以上!」
あまりにも低俗で直球な欲望に、女神の美しい顔は微かにゆがむ。内心では今すぐこの男を消滅させてやりたい衝動に駆られたが、神の口から放たれた「なんでも叶える」という言葉は、世界の法として絶対であり、取り消すことはできない。
その思いあぐねた表情を目聡く察した男は、勝ち誇ったように、したたかに笑った。
「女神様ともあろう者が、自分で言った約束を破るんですか?」
神の義務感に縛られた女神は、奥歯を噛み締めながらも、静かに告げる。
「……分かりました。異世界で目覚めたら、独身の女がいる家に行き、そこの稼業を手伝いなさい。さすればお前はその女と結ばれ、望みは成就するでしょう」
男は完璧な勝利を確信し、光の中に消えていった。
*
異世界で目を覚ました男は、すぐ近くにある大きな屋敷へと向かう。村長の家だった。幸運なことに、門の前には美しく発育のよい若い娘の姿がある。男が旅の者だと告げ、一夜の宿を求めると、快く夕食の席に招かれた。
食堂のテーブルを囲むのは、威厳のある村長、優しそうな奥さん、そして、さっきの美しい娘だ。
「よく来てくれた。遠慮なく食べてくれ」
村長一家に歓迎されながら、男は嬉しそうに食事を口に運ぶ。
(間違いない。女神の言っていた『独身の女』はこの娘だ! こんな極上のおっぱいが触り放題で、しかも俺と結ばれるなんて最高すぎる。あの神様、意外とチョロかったな!)
目の前で微笑む娘の胸元を卑しい目つきでねめまわし、男は心の中で早くも勝利の雄叫びを上げていた。
翌朝、事態は急転する。
「娘が風邪で倒れてしまってな。旅の人、すまんが手伝ってくれ」
村長からの頼みに、男は心の内でガッツポーズを浮かべた。
(キター! これで間違いなく望みが叶う! 俺が看病なりマッサージなりして、あの娘を救って結ばれる流れだな!)
下心を限界まで膨らませた男は、勇んで娘の部屋へ向かおうとする。
「おい、そっちじゃない。搾乳場だ!」
「へっ?」
村長の家は大きな牧場を営んでおり、朝早くからの搾乳は欠かせない。大事な働き手が欠けたため、素人の男の手も借りたいという。
こうして始まった、牧場の乳しぼり。
しかし、男が牛の乳房に触れた瞬間、異変が起きた。生まれて初めてとは思えないほどの恐るべき手際とスピードで、男の手が勝手に動いていく。いつもはなかなか言うことを聞かない気難しい牝牛たちまでが、なぜか恍惚の表情を浮かべて大人しく従っていた。それを見た村長は、腰を抜かさんばかりに驚いた。
「おお……おおお! なんという凄まじい手技だ! これはまさに神からの贈り物、神のスキルに違いない!」
「へ? いや、ちょっと待って……」
男が困惑しているところへ、一人の若い男が血相を変えて駆け込んできた。
「お義父さん、ただいま戻りました! 実家は、ついに気丈な母親まで倒れてしまって……」
「おお、ちょうど良いところに帰ってきたな。紹介しよう、こちらは神のスキルを持つ旅人だ。おい、こいつは娘のムコだよ」
「……え?」
村長は手短に説明する。
この家には子供が娘一人しかおらず、跡取りとしてムコを取っていた。そのムコの実家も牧場なのだが、兄弟全員が風邪で倒れてしまったため、昨夜は実家の手伝いでたまたま不在だったという。
男はまだ事態が呑み込めず、ただ呆然と立ち尽くす。
村長は男の肩を叩き、満面の笑みで事情を告げた。
「ちょうどよかった。ムコの実家は大黒柱の母親が倒れて本当に大変な状態なんだ。お前のその神の手で、あちらの牧場を救ってやってくれ!」
こうして男は、鼻先にぶら下がったごちそうを取り上げられたまま、ムコの実家へと送り出されてしまった。
村長は、出ていく二人を見送りながらしみじみとつぶやいた。
「ムコ殿の実家も、去年父親が流行病で亡くなったからな。奥さん一人で幼い子供たちを抱えて大変だったから喜ぶぞ」
*
白い空間のモニターには、死んだ目で超高速の乳しぼりを続ける男の姿が映し出されている。
そこは、数え切れないほどの牛と、幼い男兄弟が溢れる牧場だった。
男が女神から受けた恩寵によって、過労で寝込んでいた「未亡人の母親」は完全に元気を取り戻し、男を一目見るなり恋に落ちた。
「あんた、最高だよ! 今日からうちの新しい旦那だ!」
逞しい年上女性にガッチリと捕まり、大人数の義理の息子たちに囲まれた男の姿が見える。昼は大量の牝牛の乳を絞り、夜は熱烈な年上妻に愛され、「おっぱい百個」どころではない数の乳房に囲まれながら、一生解放されない強制労働の日々が始まっていた。
お付きの美少女ニンフが、画面を凝視する女神の顔を見て尋ねる。
「めずらしいですね。女神さまがそんなに熱心に下界の人間をお気にするとは」
「なにを言っておる。わらわの呪い、もとい、祝福がきちんと成就していることを確かめねばならぬ」
女神はすべてを計画通りに運んだ満足感に浸っていた。確かに男の言う通り「おっぱい触り放題」の望みは一言一句すべて叶えてやったのだ。
「その割には、なんだか悪意を含んだような、クスクス笑いですよ」
ニンフの言葉を聞いて、鏡に映る女神の顔が、したたかに笑った。
了
こちらの企画に参加させていただきました。ありがとうございました。
