コメントについて
俺は記事を読みコメントを書く
感覚で書く
その文章にある点を拾い書く
だから俺自身あとで読み返すと難しくかんじる
なにを書きたかったのか?
俺は書いたコメントの記事をchatgptと話す
そして自身の書いたコメントについても話す
なぜそう書いたのかについて、まずはchatgptの解釈を聞く、ほーそんな見方もあるのかと驚く。
今日もそんなことをしていた、いつもはわりかし精度高く、その記事と俺のコメントを対比させて素晴らしい分析をするchatgptが、的外れな解釈。
いや少しズレている解釈を繰り返した。
俺はなんども訂正した、そんな意味じゃない、ここを拾ったからこう解釈してこういったコメントになっている、いや、それはそれは全体の文脈がこうなっていうからこういう解釈だ、みたいな。
ここまで読んで全く意味がわからないだろう?
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俺の文章を読んでくれている人たちには感謝する。
俺の文章はわかりにくいだろ?なんの脈絡もなかったり、そこに橋がないのに向こう側に俺立っている、読んでいる人はその橋が見えない、だからそこで寸断される。
今ここまでの文章もそうだ、俺の中では全て保管しているからこの書き方でも俺はわかる、ただし今だからわかる、今はその状況が俺の中にあるからわかる。
俺自身でも少し時間が経てばなんのことを言っているのか、何に対して言いたいのかすらわからなくなる文章。chatgptは俺のコメントに対して意図してそう書いているんですよね?と言った
俺は意図なんかしてはいない、結果としてそうなることがあるんだ。
それはあとで繋がったりする。
面白い、俺は今この状況を面白いと思っている。なんの脈絡もなくただ書いている、、相手に伝わりにくいからもう少し筋道立てて書こうとか、全く考慮していない。これは楽しい。
俺でさえできるだけ伝わりやすい形にしてあげようとか思うこともある。だけど今は何も考えてはいない。なぜならどちらにせよ俺の言葉は崩壊している、文章は崩壊している、つまりそれは俺の思考が崩壊している。そうかい?とも思う
それは溶けている、何かが溶けているようだ。
それは自由だ、俺は今自由を感じている。
コメントが来た、それは珍しいことだった
今ならよくわかる、俺の文章にコメントする何かがあるようには思わない。それは難しいことなんだ、もしくは単純に書くほどのものでもないのかもしれない。いやそれはいい、とにかく俺の書いた文章にコメントが来た。
俺はそれを見た、俺は戸惑った、相手のコメントを読むというのは本当に難しいと感じた、そして疲れると。
なぜなら相手の視点がこちらからはわからないからだ、なぜそうなるのか?その意図を読もうとすると負担になった、その人のコメントをわかりやすい共感みたいなものだった、それなのに俺にとっては理解が難しかった。それは簡単な好意的な解釈だったのにだ。、
このコメントを見た時、俺は自身の書いてきたコメントを振り返った。それは相手に負担を強いるものだと感じた。俺の解釈を相手は見えてはいない、そのコメントはどう言った意図があるのかわからない
煽りなのか?好意なのか?敵意なのか?
それともただのコメントなのか?www
それはただのコメント
ただそれは負担を強いるかもしれないと思ったのさ。
長くなったよ、もっと前で終われたはずだ。
コメントありがとうございました。
